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深山ゆり

左の横顔

副題:園まりさんの表情って、いいな

今年(2014年)4月、「5冊のアルバム」のレポートを書いたとき『TIMEisLIFE~トキメキの時』に園まりさんが出演される事も少しだけ触れましたよね。
その映像が早速動画サイトにアップされてました。
 
Tokimeki

 

これを投稿された方は、「両神ふるさとまつり」など、貴重映像もUPされていて、「まりちゃんの本当の魅力」をよく知っている「リアルファン」なんだろうなぁって想います。

「TIMEisLIFE」で放送された内容は「5冊のアルバム」と重なる部分も多いし、動画を見ていただいたほうが良いので、説明は省略しますが、この映像、園まりさんの表情が好いですよね~

なんてったって、私が一番好きな角度、「まりちゃんの左の横顔」をずっと観ていられるもん。
ぽ~っと眺めていたらジャケ写真を想い出しました。

Photo

ここで、もう一度映像を見てほしいのですが、番組冒頭で、テリー伊藤さんと挨拶を交わしているでしょう。


テリー:「今日、よろしくおねがいします」
園:「あ、よろしくおねがいします」

表情や声の雰囲気から、このときの状況や背景がわかりますよね。

番組の趣旨はオファーの段階で連絡済、今日はこまかい台本無しでフリートーク、録画したものを後から編集することになっている。
テリーさんと園さんがスタジオに入り、そこで挨拶を交わします。
テリー:「今日はよろしくお願いします!」
園:「こちらこそ、よろしくお願いします」
この後簡単な打ち合わせがあったかどうかは判りませんが、本番直前、短い沈黙があり、そしてディレクターさんのカウントダウン。
「3・2・1 キュー!」
テリー:「今日、よろしくおねがいします」
園  :「あ(そうね、そうだわ)、よろしくおねがいします(ウフフ)」

こんな感じ、全部私の想像です。
でも、園まりさんの声や表情が、言葉の何倍も物語っているのは事実です。
そして、直接心に伝わってくる「テレパシーのような、何か」がとても魅力的であるのも事実です。
 
Photo_2
 
ところで、颯爽と街を歩いている姿も、なかなかカッコイイ。
普段からウォーキングで鍛えているからなんでしょうか?
何度も観ているうちに気がついたんですが、撮影場所ってココじゃないですか?
 

ストリート・ビューにリンクしています

東京近郊にお住まいの方には簡単に判るんでしょうが、私はイナカモノなので気がつきませんでしたね~
マウスで画面を動かし、右手を見ると『三愛ドリームセンター』が見えますよね。
ここは、全盛期に振袖姿で写真を撮ったすぐ傍です。

S41_22

昭和41年・師走に撮影された写真

「左の横顔」ではないけれど、好い表情をしてるでしょ。

 

 

話は変わって、今年2014年6月23日、『徹子の部屋』に出演されてました。
私その日は、時間が取れなくて見られなかったのですが、次の日、録画したものを観ました。

映画『逢いたくて逢いたくて』の想い出、今は亡きお姉さんのこと、お母様の介護のこと等をお話されていたんですが、それはまた、いつか機会があったらレポートしようと思います。
だって、この日の園まりさん、ものすごい綺麗で、ポ~っと見惚れてしまい、お話の内容がよくわかりませ~ん(^┰^ゞ

で、この番組の中にも、ちょっとだけ「左の横顔」があって、やっぱり好かったぁ。

Photo_4

映画『逢いたくて逢いたくて』の想い出

向かって右側に黒柳さんがいて、左側にモニタがあるので、そこに映し出されている渡哲也さんを見ているところです。
映画『逢いたくて逢いたくて』で共演した渡さんに、片想いしたお話をしているときの表情は、恋に恋する乙女そのもの。

Photo_5

お姉さんと共演したお話

個人的には、この横顔が一番好き!
愛しい我が子を見つめる母のような、優しい眼差し。
なにか、『母性』を感じますね。

こんな表情どこかで見たことあるなぁ・・・って考えたら、園まりさんを見つめるときの、お姉さんの眼差しだ!!
(古雑誌で見たことがあるだけなんですけどね ^^;)

誤解されるといけないので、念のために書いておきますが、園まりさんは、未婚で、『母』になった経験はありません。
それでも、誰かを大切に想う気持ちがあれば『母性』は発現されるものなんだと、感じたんです。

もうひとつ、この横顔を見てハッとしたことがあるんですよ。
以前は、お姉さんの想いで話をするときって、どことなく寂しそうだったんですね。
それが、こんなに明るく、お話できるようになったこと。
よかったよかった。

 

もう25年位前かなぁ、『岐阜未来博』というイベントが岐阜市で開催されましてね。
メインが中国から借りた「本物の化石」で、二足歩行の巨大恐竜。
名前は忘れましたが、ティラノサウルスと同じくらいの大きさがあって、すごい迫力だった。
私、ゴジラとモスラと恐竜が大好きなので(恐竜は怪獣じゃありませんが^^;)当然観にいきました。

そのとき偶然ですが、ミスユニバース各国代表が来ていたんです。
直近で見てきましたよ、世界の『ミス』を。
だけど...楽しくない。
心に感じるものがない、感動がないのです。

世界の美女が束になっても、園まりさん一人の魅力に及ばない。
今になってやっとわかるんですが、ミスコンテストを勝ち抜いてきた彼女たちには、自然な表情がない・・・コンテスト用に作られた表情なのです。
だいたい、女性の美しさに、コンテストで順番をつけようなんて、馬鹿げてる。

心の中から、自然に内面から滲み出してくるときの表情こそが、もっとも美しいのです。
テレビに映る「まりちゃん」は夢に出てきそうなほど、魅力的でしたね。

最後に、『徹子の部屋』を観ていたら、昔の写真を想い出したので、それをちょっと紹介。

421_1991
 
昭和42年、週刊現代

カメラマンに何か言われて、ちょっと微笑んだときの表情ですな、たぶん。

No10_1967315
 
昭和42年、平凡パンチDX

この頃、私まだ小学生だったので、園まりさんの本当の魅力なんて解ってなかったけど、そこはかとなく漂う優しさだけは感じてた。

写真の右上に「かわいい乙女」と文字が入っているでしょう。
本当は「可愛いおんな」だったんです。
でも、私の趣味に合わないというか、園まりさんのイメージにそぐわないので、勝手に書き換えました^^;
まりちゃんは今だって乙女だし、これからだって永遠に乙女なんだから、これでいいのだ!!

・・・おしまい
 
 

歌の語り部

副題:「♪もう一度逢いたくて」

私、先月、胆石(胆のう切除)で10日間ほど入院しましてね。
もっとも、計画入院だったので、準備万端整えて、必要なものを持ってはいきました。
もちろん、お気に入りのCDと以前「5冊のアルバム」で紹介した音声ファイルもプレイヤーに詰め込んで。
 
Photo
乾電池式プレイヤーと入れていったCD
 
入院中は充電が難しいので、乾電池で動くプレイヤーにしましたが、これは本来録音機なので、容量が足らない。
上のCDも全部は入らないので、選曲に苦労しました。
でも、そのかいあって、癒されましたね~、本当に癒された。
 
普段ではありえないくらい、いっぱい聴きましたよ、乾電池10回も交換しましたもん。
それで気がついたことがあるので、書いておこうかなと思います。
 
Photo_2
「♪もう一度逢いたくて」のCD
 
一番癒されたのが、このCD、「♪もう一度逢いたくて」。
園まりさんの声が、たまらなく優しいのです。
看護師さんから鎮痛剤はもらったんですが、なかなか寝つかれないので、一晩中繰り返し聴いてました。
聴きながら想ったのですが、この曲、純粋なエンターテイメントとは、ちょっと違うなぁ・・・ってことです。
 
音楽として直接楽しむ部分もあるのですが、「まりちゃんの心」に共感し、それによって癒されるための曲であるといえます。
魂に直接迫る部分がある、と言えばいいのでしょうか。
娯楽的要素はむしろ、カップリング曲の「♪それぞれめぐり逢い」のほうが強いといえます。
 
いきなりこんなこと書いても、「こいつ、なに言ってんだ?」って思われますよね。
実は、私もそう感じられるようになるまでに、何百回も聴いたんですが、もっと短い時間で同じ感覚を得ることも出来るんです。
それを今からお話ししますから、おひまなら、読んでくださいね^^)
 
 
○「♪もう一度逢いたくて」がレコーディングされるまで
 
この曲ができたいきさつは、以前「まりちゃんが見た夢のお話」で書いたことがあるんですが、覚えてますか?
「ある冬の日、園まりさんは夢を見ました・・・」で始まるあの文章です。
そう、きっかけは、園まりさんが見た「夢」でしたね。
 
CDが発売されたのは2011年夏ですから「ある冬の日」はその前の冬だと想われたかもしれませんが、実はそうじゃない...
その前の前の冬、正確に言うと2010年1月。
つまり、CDとして発売するために作曲されたのではなく、ステージソングとして作られ、以前から歌われていたのです。
 
園まりさんは、こういったステージソングの他にも「♪アンチェインド・メロディ」や「♪アヴェマリア」など、カバー曲のレパートリーもたくさん持っていて、バースデーコンサート等でなければ聴けない曲もあるみたいです。
そういった中から出てきた一曲なんですね。
 
そして「♪もう一度逢いたくて」の評判がよかったので、CD化しようとなったのではないでしょうか。
それと、園まりさんご自身に、ある想いがあって、それを望まれたのかもしれません。
 
 
○「やっと 本当は 尽くしてゆきたいと♪」
 
 
この歌は「あの頃 私は あなたといるだけで・・・恋の涙 知ってゆくのね♪」と歌っていて、昔別れてしまった彼に、心の中で語りかける歌詞です。
しかし園まりさんは、もっと広い意味で歌っている。
ご自身の人生を通り過ぎて行った大切な人たちが、走馬灯のように浮かぶのを見つめながら、唄っているように聞こえるのです。
それは、恩師であった作詞家・作曲家の先生方、先輩、恋人、親友、亡くなってしまったご家族であろうと想われます。
 
歌詞の後半、同じフレーズが二度出てきます。
「やっと 本当は 尽くしてゆきたいと~愛の意味を 知ってゆくのね♪」。
このなかで、最初の「それが 私の 願いだと気づいたの♪」あたりからです。
決して声を張り上げて歌っているわけではありませんが、深いビブラートの中から、感情がほとばしり出ていて、「絶唱」している。
そして、二度目の「やっと 本当は♪」でクライマックスに達する。
ここからが、私にはどうしても、今は亡きお姉さんの姿を浮かべながら歌っているとしか想えないのです。
「お姉さん!」って呼びかけているように聞こえるのです。
 
 
○園まりさんとお姉さんのこと
 
園まりさんは終戦の前年(昭和19年)、横浜市の保土ヶ谷に薗部家の次女として生まれました。
終戦後しばらく、庶民は窮乏生活を強いられ、ヤミ米を手に入れなければ、餓死しかねない有様だったようです。
薗部家も例外ではなく、群馬県の片田舎(お父様の実家)に食料疎開します。
 
その田舎で三歳の時、外で遊んでいて大怪我をしました。
このいきさつには、「木登りをしていて落ちた」「池に落ちた」「年長の子におんぶされていて、振り落とされた」など、いろんな説があって本当のところは、はっきりしません。
ご本人が、まだもの心つくかつかないかの幼いときであったこと、その場に大人がいなかったかもしれないことなど、事情があるんでしょう。
 
何れにしても、左ひじ関節骨折の重傷です。
病院で手当ては受けますが、終戦後間もないことですから、十分な治療を受けるのも難しく、ひじは固まり、腕が伸びなくなってしまいます。
 
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深山ゆりさんと
 
一歳上のお姉さん(深山ゆりさん)とは、幼いころから仲よし姉妹、少女時代は一緒にいることが多かったでしょう。
姉は片腕が不自由な妹をかばい、妹は姉に甘える。
しかし二人にとって、それは自然なことで、とくに意識することはなかったであろうと想われます。
母と姉に見守られ、園まりさんは明るく、ちょっとやんちゃな少女に育ちます。
ケムシやイモムシが大好き、家に持ち帰っては、お母様をふるえ上がらせたって(笑)
 
東京の小学校に入学したばかりのころ、大病院でひじの手術を受けます。
手術は成功しましたが、一ヶ月の長期入院。
本当に大変なのは、退院してからでした。
入院中に勉強は遅れ、大きなギプスで洋服は着られず、着物の上に羽織で通学。
目立つ存在に、このころから同級生によるイジメが始まったようです。
いじめられている最中「わたしは、意地悪だけは絶対にしない!」と幼心に誓ったそうですから、相当つらい体験だったのでしょう。
お姉さんとは同じ学校でも一学年違うだけで別々、姉と一緒ではない心細さを初めて味わったのではないかと想像されます。
 
のちに深山ゆりさんは『SKD』に、園まりさんは、『杉の子こども会』から『キング児童合唱団』へと別々の道を歩みますが、ハイティーンのころ、二人の運命はまた合流します。
昭和36年、園さんが17歳で渡辺プロダクションに入社したとき、そこにお姉さんがいました。
でもナベプロに入社して、すぐ歌手デビューしたわけではありません。
芸能人として、感性に磨きをかける必要があったからです。
 
当時、六本木に集まる若者たちで構成する『野獣会』というのがあって、二人もそこに顔を出すようになります。
ちなみにこの『野獣会』、すぎやまこういち氏が作ったことになっているらしいのですが、私はナベプロの副社長、渡邊美佐さんが若手芸能人のスカウト場所兼養成の場として、企画したのではないかと想っているんです。
 
それはともかく、野獣会のメンバーが集まるイタリアン・レストラン『キャンティ』にも、「ゆり・まり」コンビは、ちょくちょく顔を出していたのではないのか知らん。
お二人にとって、一番楽しい時期だったかもしれませんね。
 
 
また、あるとき、園まりさんが名古屋御園座に出演した初日、衣装担当のスタッフが不慣れなせいもあって、早替わりが間に合わなくなったことがあるらしいのです。
そのとき、ゆりさんは、とっさに舞台中央に出て日本舞踊を披露し、場を繋いだ。
台本にはないアドリブです、舞台女優とはいえ、いい度胸してますねぇ。
いや、それ以上に『園まり』を護ろうと、必至だったんでしょうね。
 
 
園さんが開店休業状態だった1998年の晩秋、お父様の肺がんが判明。
そして翌年のお正月、容体は急変し、急きょ入院します、病状は進んでいました。
ところが、それから一月も経たないうちに、こんどは弟さんが急病で亡くなります。
お父様は相当ショックを受けられたようで、後に亡き弟さんに書いた手紙が見つかったそうです。
震える文字が涙で滲む便箋。
「オレをおいて、なぜ先に逝った・・・」
 
弟の急逝に父の末期がん、お母様と園まりさんは絶望の淵に立たされますが、そこに心強い助けが現れます。
当時、地方都市に住んでいたお姉さんが上京したのです。
幼いころから、父親の操り人形のように生きて来ざるを得なかった園さんの心の中には、わだかまりもあったのですが、お姉さんと二人協力して「父に尽そう」と決意します。
 
愛娘二人に介護され、少しずつ心穏やかになる父。
お父様は見事に変わって行かれたそうです、「敬愛できる父」に。
このことについては、先月「5冊のアルバム」に書いたとおりなのですが、父娘の絆を取り戻し、しっかりと心を繋いで、悔いを残さず旅立ち、送ることが出来たと言われます。
 
 
2003年ごろからお姉さんは園まりさんの付き人、スタッフとして、また家族として、仕事をサポートするようになります。
それからしばらくの時が経ち2008年、園さんは乳がんの手術で入院、その後無事退院となりましたが、そのとき自宅の寝室はベッドの上まで衣装でギッシリ、寝る場所もなかった。
カムバック後、ちょうどお仕事が順調に増えてきた時期でしたからね。
 
それを見たお姉さんは、こう言われたそうです。
「私のベッドで寝なさい、私は下で寝るから」。
たぶん、ソファか床で休まれたんでしょうねぇ、うわ~優しすぎる。
私、深山ゆりさんの、顔と名前くらいしか知らなかったんですが、このお話を聞いて、好きになっちゃった。
 
しかし、そのお姉さんも2011年1月、病で急逝されたのです。
撮りためた映像を見ると、当時の園まりさんは細い、やつれている。
元気に振舞ってはいるのですが、足元がおぼつかなくて、憔悴しているのが判るんです。
精神的ショックがとても大きかったこと、お母様の介護など、それまでお姉さんに助けられていた部分を全部一人で背負わなければならなくなり、負担が倍増したことで、二重に大変だったと想う。
 
そのころ自分は、ニューシングル「♪もう一度逢いたくて」がリリースされたことに浮かれてしまい、まったく気がつきませんでした。
テレビのこちら側とむこう側じゃ、どうしようもないのですが、今にして思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 
 
「姉からは、いっぱい与えられ、助けられたのに、わたしからは何もしてあげられなかった」と語る園まりさん。
「悔いが残る、もっと尽せばよかった」と。
そしてこう言われます。
「"もう一度逢いたくて"という言葉が心に迫ってくるようになりました」「歌の中から、"もう一度生きなおしなさい"って姉の声が聞こえるような気がするんです」。
 
 
○大震災のこと
 
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園まりさん、鎌田實氏と石巻へ
 
お姉さんが亡くなられた年の3月11日、東日本大震災がありました。
その3年前、テレビ番組「田舎に泊まろう」で、園まりさんは被災地、石巻にある、一軒のお宅に泊めていただき、ご家族と心温まる交流があったそうです。
しかし、震災があってからは、如何されているのか分からず、気になって仕方がありません。
連絡を取ることもままならず、悶々としているとき、公式サイトを通じて、お孫さんからメッセージをもらい、やっと安否が確認できたそうです。
 
ところが、現地を訪ねると、あまりの惨状に声も出ません。
石巻のご家族と再会を約束し、被災地をあとにします。
その後、支援活動をしていた医師の鎌田實さんからオファーがあり、石巻の避難所になっていた文化施設「ビッグバン」でボランティアコンサートを開くことができたのです。
コンサートの日、鎌田さんは、被災地を見つめる園さんの瞳に、涙を見ました。
家を、家族を、親友を失った人たちの心を、肌で感じていたのでしょう。
とても他人事とは思えなかったんです。
 
 
園まりさんは、お姉さんのこと、震災のことを想うとき、「この人生、この世の中、いつ、何があってもおかしくない」と考えるようになりました。
今は、「何があっても、悔いのない生き方」を大切にしています。
今逢える人を大切にしたい。
逢えなくなってから後悔したくない。
そして『一期一会』という言葉を大切にします。
今日、ステージを観に来てくれたファンと、次いつ逢えるかわからない。
だから精一杯、歌で尽したい。
歌に、ステージに、人生に、いつも自己ベストを目指しているのです。
 
 
・・・ここまで読んだら「♪もう一度逢いたくて」を聴いてみてね 。
それは主に歌の後半にあります、ですからCDでフルコーラス聴いてほしいのです。
ほら、何か感じ取れるでしょう。
「まりちゃんの魂」が。
歌詞の中には書かれていないけれど、声の中に滲み出ている園まりさんの心を感じとるのです。
言葉では通じきれない何かを歌に託すのが、「歌手:園まり」なのですから。
 
 
・・・おしまい
 
 

山路ゆり

副題:続、『ゆり子さんって・・・だれ?!』

8月下旬に『ゆり子さんって・・・だれ?!』で、深山ゆりさん(園まりさんのお姉さん)らしき人が、『映画 ハイハイ3人娘』に出演していることは書きましたね。
でも、クレジットに名前が見当たらないことが、ずっと気になっていたんです。
それで、ちょっとだけ調べてみました。

ハイハイ3人娘のあらすじ


あらすじから抜粋

学園祭が終って、内村の送別会が開かれた。飯田先生、折口、浦、今日子、千恵子、悠子、雅義などが集って賑やかに喫茶店で開かれた。その時、飯田先生は電話器の側にあるメモ帳から今日子の家の電話番号が記してあるメモ帳を発見した。慌てたウエイトレスのマリ子をかばって立ったのは折口だった。


上のあらすじはもともと【キネマ旬報データベース】からのようです。
ところが実際にDVDを観ると、「ウエイトレスのマリ子」なる人物は、出てこない、それに該当するのが、「ウエイトレスのユリ子」なんですね


シナリオからあらすじが書きおこされた後、映画になる段階で変更されたか、そうでなければ「ユリ子」と書いてあったものが「マリ子」と誤植されたのではないかと想われるのです。
そして、資料では「マリ子」を演じたとされるのが、『山路ゆり』ということになっています。

Photo

結局、深山ゆりさんによく似た『山路ゆり』という女優さんだったのでしょうか?
しかし、釈然としないので、山路ゆりさんの事を調べてみたんです。
その内容は次のとおりでした。

Photo_2

山路ゆりさん

山路ゆり、活動履歴

テレビドラマ 1962年

映画 1962~1963年

昭和37年~38年の2年間、映画・テレビドラマと活動され、その後芸能界から忽然と姿を消しています。

 

ここで、深山ゆりさんの活動暦も見てください。

深山ゆり、活動履歴

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舞台「焔のカーブ」(ヒロイン役) 1965年

クレージー・キャッツ結成十周年記念公演 (賛助出演) 1965年

映画「逢いたくて逢いたくて」(宮原 役) 1966年

テレビドラマ 1966~1969年

深山ゆりさんは昭和40年~44年の短い間でしたが、舞台・映画・テレビドラマにと活躍されたようです。
テレビドラマは私も見たのがあって、「あのときの女優さんがそうだったのかな?」って思いあたるところもあるんです。
ただ、園まりさんのお話や、雑誌の記事などから総合的に判断すると、姉妹そろって同じ頃(昭和37年)に芸能界デビューしているはずなんですが、昭和39年以前の活動暦が全く出てこないのはおかしい・・・?

これは私の推測でしかないのですが、お姉さんは当初『山路ゆり』で芸能界デビューしたのではないか?
その後一年ほどの短いブランクがあり昭和40年になってから『深山ゆり』として再デビューされたのではないか?
何の根拠もありません、しかし年齢・ポジション・容姿とも、あまりにもよく似ている『山路ゆり』と『深山ゆり』。
私の思い込みかもしれないけれど、無理なくつじつまが合ってしまう。
あなた、どう想いますか?

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園まりさんと深山ゆりさん

ところで上の画像は拾いモノなんですが『クレージー・黄金作戦 海外ロケ』に、出発前の園まりさんと、ちょっぴり心配そうなお姉さん。
我が妹を「誇らしい」と感じているようにも見えますね。


2月28日、外国ロケで初の海外旅行に出発した園まり。
「忙しくってギリギリまで旅行準備がはかどらず困っちゃった。経験のある姉におんぶして本当にやっと間に合ったの」
姉のユリさんは飛行機が飛び立つまで忘れ物の心配をしていた。


なんてことが書いてあるようです。
深山ゆりさんのまなざし、「妹が可愛くて仕方ない」といった表情がなんとも云えません。
私自身はムサクルシイ男の兄弟だけなんですが、こんなやさしくて美人のお姉さん、ほしかったなぁ。

 
追記:2014年11月9日
『山路ゆり』は、やっぱり深山ゆりさんだった!!
深山ゆりさんと『山路ゆり』の関係が『日本映画名作完全ガイド』の27ページに掲載されているのを発見!
「後に深山ゆりとなる山路ゆりは、園まりの実姉である。」と、たったこれだけなのですが、『山路ゆり』は、やっぱり深山ゆりさんだった。
 
日本映画名作完全ガイド

・・・おしまい

ゆり子さんって・・・だれ?!

副題:「映画 ハイハイ3人娘」

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雑誌:東宝映画から

今月1日(2013/8/1)に放送された『木曜8時のコンサート 夏祭りにっぽんの歌』。
スパーク3人娘が犬塚弘さんと競演で「♪ミスター・ベースマン」を歌っていたんですね。
これがすばらしくて、すっかりハマってしまい、いまだに繰り返し観ています。

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『♪ハイハイ3人娘』

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『♪五万節』

この番組で歌っていた『♪ハイハイ3人娘』や『♪五万節』も、とても楽しくて「映画 ハイハイ3人娘」も観てみたい、と想ったんです、それで早速取り寄せて鑑賞いたしました。

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この映画が封切られたのは50年も前なんですね~、当時小学一年だった私にとっては、未知の世界なのですが、「♪ハイハイ3人娘」を唄っている園まりさんがあまり変わっていなくて、「クス」っと笑ってしまいました。

現在(いま)の印象が「♪夢は夜ひらく」を唄っていた全盛期よりも、むしろ、この頃に近いことを発見したんです。
とはいうものの、映画の中の三人は若く、初々しい。
このとき、15~18才ですもんね、実際に高校生くらいの年齢です。

内容は、恋に恋する乙女3人の青春を、歌あり、踊りあり、笑いありのミュージカルコメディ仕立てで描いたもの。
クレージー・キャッツ、スリー・ファンキーズ、ボンドガールの若林映子さんなど、豪華な顔ぶれが並んでいて、三人娘を中心に、力の入った作品になっている。

冒頭では、3人ひとまとめに扱われている感じで、「まりちゃん、あんまり目立たないなぁ」と思っていたのですが、いきなりソロで唄う場面が出てきて、これが超個性的。
こうでなくちゃぁ!

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元気ハツラツ少女が・・・

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唄い始めると、しっとり

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歌唱曲は「♪マイ・ボーイフレンド」

園まりさん弱冠18歳、あどけない表情ながら、ほのかな色香と気品漂う美しい姿。
そして深いビブラートに、しゃくり上げるような唄声。
「うわ~ やっぱり園まりだなぁ」って想った、これだけで、もう充分満たされた気分。

今の若い芸能人の中には、こんな人いませんね~、私が若い頃だっていなかった。
「コリャ大スターになる訳だわぃ」と納得。
先週はずっと「♪ミスター・ベースマン」が頭の中で鳴り響いてましたが、これで今週は「♪マイ・ボーイフレンド」です(^^

この映画の見所は、上に書いた「♪マイ・ボーイフレンド」はもちろんですが、踊りもすばらしい。
一口で言うと切れが良いんです。
「へぇ~、3人娘って、こんなに踊りがうまかったんだ」ってのは私のひとり言ですが、シャキッとエッジが立っていて、見ていると一緒に踊りたくなる感じ。
園まりさん、踊りが苦手だなんて、ウソですよねー(^^

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森永スパークショー

これは、映画の中に出てくる「森永スパークショー」の一シーン。
本物ではなくて、映画用に製作されたものだと想います。
この中で、中尾ミエさん、何曲か歌って踊るのですが、いやぁ~、エンターティナーだわ・・・このとき16歳ですよ、すごいなぁ。
本物の「スパークショー」もこんなに上質な番組だったのでしょうか?
もう一寸早く生まれて、本物も観たかったですねぇ。

それから、笑える、それも上質な笑いです。
谷啓さんの懐かしいギャグ、高島忠夫さん、伊東ゆかりさん。
特にゆかりさんは、本当に面白い、こんな才能があったんだとあらためて見なおしました。
何が面白いって?
ネタバレできませ~ん、何も知らずに新鮮な気持ちで笑っていただきたい、だから、見てのお楽しみ(^┰^。

そして、ストーリーも大詰め、学園祭の後、喫茶店で内村君(長沢純さん)の送別会が開かれるのですが、ここで、怪電話の主を探そうと、即席の素人裁判が開かれます。
このとき、伊東ゆかりさんに「ゆり子さ~ん」と呼ばれ、証人として出てきたウエイトレスの女性。

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ウエイトレスの、ゆり子さん

この人を見たとき「あ!」っと声を上げそうになりました。
なぜって、深山ゆりさんそっくり!
そう、あの「み・や・ま・ゆ・り」、園まりさんのお姉さんです。
あわててクレジットを見なおしたのですが、名前はありませんでした。
どういうことなのでしょう、何か大きな勘違いをしてるのでしょうか??
しかし、他人の空似にしては、似すぎている。

いま、この映画を観ながら、そして文章を書きながら、ドキドキしています。
大まちがいをして、恥をかくかもしれないからじゃないんです、そんなこと平気。
もしかしたら、私は伝説のアイドルを見ているかもしれないのです。
あぁ~だったらどうしよう・・・どうしようもないですが。

出演時間も短いし、3人娘が主演ですから、友情出演みたいなものかもしれません、私の勘が当たっていればの話ですが。
まぁ頭を冷やして、後日また、ゆっくり観ることにします、ということで、オヤスミナサイ。

(大恥かいたら、どうしよう ^_^;) ・・・つづく

深山ゆりさんの一周忌

今日1月17日は何の日?
そう、阪神・淡路大震災です、1995年でしたね。
日本中の人、全てが永久に忘れられない重大な日でしょう。
ところで、去年1月17日、私は何をしてたのかな?と手帳を見て思い出した。
連日の寒波で免疫力が下がったのか、帯状疱疹を発症してしまい、あまりの痛みに七転八倒していた頃です...情けない。

Y_miyama

それはさておき、もう一つ重大な日、1月17日は深山(ミヤマ)ゆりさん(本名は薗部洋子さん)の命日なのです。

深山ゆりさんは、園まりさんの実姉で、元SKD(松竹歌劇団)の女優、後に渡辺プロに所属したアイドルでした。
そして園まりさんが芸能界に復帰後、8年間にわたって、秘書・付き人として、家族としてまりさんを支え、育まれた方です。
美しいだけでなく、細やかな心遣いをされる優しい人柄だったようで、まりさんはもとより、周りのスタッフやファンにまで広く慕われていました。

Y_m

ところが、一昨年の暮れ、突然くも膜下出血で倒れ、急遽入院するも、昨年、2011年1月17日、帰らぬ人となったのです。
このとき、まりさんはもとより、周りの方々や親しんでいたファンの悲しみは、いかばかりだったかと想われます。
一時は、ショックや心労で、体調を崩されていた園まりさんでしたが、今は力強く立ち直られ、周りの関係者やファンも暖かく応援しているようです。
それに、まりさんの心には、お姉さんがいつもいて、見守っていてくださるにちがいありません。
実を云うと、私は「深山ゆり」の名前くらいしか知らなかったのですが、この一年間、噂を聞くにつけ、優しくて深い愛をお持ちの方だったんだなあ、と想うとともに、知れば知るほど、魅力的な人物だったのだと感じています。
そして、いまさらながらに、謹んでご冥福をお祈りしたいと思いす。
        

 



女優の深山ゆりさんは、よく知られているとおり、歌手・園まりさんのお姉さんで、公式サイト「園まりGALLERY」や公式BBSにも、記事が掲載されておりました。
しかし、いつのまにか、たった一枚の写真を残して、情報は削除されたのです。
理由はよく分かりませんが、遺された御家族のプライバシーに配慮されたのではないかと想像されます。

それに合わせ、このページも一時閉鎖していましたが、最近(2016年1月)オフィシャルブログに、深山ゆりさんの記事が掲載されたところを見ると、どうも解禁になったようです。

そこで、個人情報を一部削除、リニューアルし、再度公開することといたしました。

深山ゆりさんのこと


女優の深山ゆりさんは、よく知られているとおり、歌手・園まりさんのお姉さんで、公式サイト「園まりGALLERY」や公式BBSにも、記事が掲載されておりました。
しかし、いつのまにか、たった一枚の写真を残して、情報は削除されたのです。
理由はよく分かりませんが、遺された御家族のプライバシーに配慮されたのではないかと想像されます。

それに合わせ、このページも一時閉鎖していましたが、最近(2016年1月)オフィシャルブログに、深山ゆりさんの記事が掲載されたところを見ると、どうも解禁になったようです。
そこで、個人情報を一部削除、リニューアルし、再度公開することといたしました。

 

副題:園まりさんのお姉さんって・・・

最近、「歌手:園まり」を、育んできたお姉さんとは、どんな方だったのだろうと、気になっています。
写真を見ると、優しそうで、とてもいい感じ。
園まりさんのことを検索していて、気が付いたのですが、お姉さんに関心を持っている人が、多いような気がしてならない。
その割に、ネット上にあまり情報がないので、不完全ですが、少しだけUPします。

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園まりさんとお姉さん 仲がよさそう・・・

プロフィール
芸名:深山ゆり(
みやまゆり) [当初は 山路ゆり]
本名:薗部洋子
好きな物:ジンジャーエール・海老煎餅の「ゆかり」
園まりさんより一歳年上のお実姉さん
SKD(松竹歌劇団)の女優、後に渡辺プロ(※
渡辺企画)に所属、引退後、園まりさんを、家族として、またスタッフとして支える。
※渡辺プロダクションの関連会社、同時期に山東昭子・須藤典子などが所属

2011年1月17日、たくさんの方から惜しまれながらも、くも膜下出血で亡くなる(享年67)。

人柄、エピソード
細やかな心遣いをされる方だったらしく、周りのスタッフからは、とても親しまれていました。
プライベート(カラオケ?)では、姉妹で一緒に、ザ・ピーナッツ等を歌うこともあったとか。
園まりさんが、2008年に退院したとき、自宅の寝室は衣装がいっぱいで、寝る場所もなかったが、
そのときお姉さんは「私のベッドを使いなさい・・私は下で寝るから」と言われたそうです。
また昔、名古屋御園座の公演初日、衣装さんの不慣れなどで、早替わりが間に合わなくなったとき、お姉さんがとっさに、舞台中央に出て日舞を踊り、間を繋いでくれた事があるそうです。
肝っ玉がすわっているというか、いざというとき機転が効くお方だったようですが、それ以上に「園まりを護らねば」と云う気持ちが強かったのではないか、と想います。

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うわ~ 園まりさんに、負けず劣らずの美少女だったんですね~

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昭和42年初詣

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合田道人さんのブログ

出演映画など

      映画「逢いたくて逢いたくて」

      テレビドラマ

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                     【昭和スター倶楽部】プロマイドギャラリー 深山ユリ