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まりちゃんのプロマイド

※このページに掲げた画像は、数十年前の古い雑誌等からですが、同じ写真がプロマイドとして、現在も販売されているかもしれないので、しっかりと文字が入れてあります。

園まりさんの全盛期、その人気は大変なものでした。
レコード・ヒットチャートについては、以前「ビルボード・ヒット・オブ・ザ・ワールド」で触れたのですが、今回は「まりちゃんのプロマイド」がどのくらい人気があったのか、参考になりそうな資料を紹介します。

まずは、写真を紹介。
                               
01
雑誌〈GAL'S ザ・プロマイド〉
1982年12月25日発行

02

110ページに園まりさんが載っています

右上の着物姿、「なんとなくクラブの美人ママという雰囲気」って書いてあるんですが、これを見て妙なことを想い出した。
赤坂にあった園まりさんのお店、当初は花屋さんと喫茶店だったのですが、その後「スナックを開店した」という噂、聞いたことありませんか?

「tea room MARI」を訪れたら、その階下に「スナック・まり」があった。
「なんだろう?」と中に入るなり「いらっしゃいませ」と着物姿の園まりさんが振り返った・・・うわ! ドキ・ドキ・ドキ
あはは、妄想ですよ、妄想。
「スナック・まり」は本当にあったのかって?
さあ~、どうでしょうか ^^;



03
こちらは、古いプロマイド...若い!

昭和37年の写真です。
全盛期のような、しっとりとした雰囲気はないのですが、すごく明るいキャラで好いですね、見ていると楽しくなる。

 

04_110

110ページから切り出した写真

05

昭和39年5月のパンフ〈園まりと共に〉

上の二枚の写真、個人的には同じ日に撮ったものだと想いますね。
衣装とへアスタイルが、昭和39年1月のシングルレコード「♪夢の散歩道」のジャケ写真と同じなので、そのころかな?

06

夢の散歩道/ヴィーナスのたて琴

                                        


さて、お遊びはこのくらいにして、本題に入りましょう。
WIKIには「1966年~1967年マルベル堂のブロマイド売り上げ女性歌手第1位」と書いてあるので、この事実は一般的に良く知られていることだろうと想います。
しかし、どのような状況の中で「ブロマイド売り上げ第1位」だったのかは、あまり知られていない。

                                       
1964_2
昭和39年2月

3人娘の一人として、またカバーポップスのヒットで歌手としての知名度は高かったはずですが、むしろビジュアル系アイドルとして、人気があったんじゃないかな。
この時期オリジナル歌謡では、先ほどの「♪夢の散歩道」がスマッシュヒットしていたのではないかしらん?
カバーポップスで声を張り上げていたのが、少し、しっとりとした味が出てきた頃です。
この歌をリリースしたときは二十歳直前で、唄い方もちょうど少女から大人に変化するときだったんですね、きっと。
私は当時、曲を聞いたことはなかったのですが、今聴くとなぜか懐かしい。
なんとなく「園まり節」の原点を感じるのです。





1964_12

昭和39年12月

男性歌手部門が安定しているのに比べ、女性歌手は入れ替わりが激しい。
その中にあって、園まりさんは安定した人気があったみたい。
「♪なにも云わないで」が大ヒットして、ランキング上位に躍り出ます。
意外だったのは、レコードデビューして間もない、いしだあゆみさんが、トップ3に入っていることです、人気があったんですね。

 

1966_1967

昭和41年・42年

男性歌手部門では「舟木一夫」「西郷輝彦」「三田明」の三人が他を寄せつけない人気がありました。
女性歌手部門は園まりさんの独壇場で、他は相変わらず入れ替わりが激しかったようです。
ちなみに、当時の雑誌を見ると、園まりさんと舟木・西郷・三田さん、それぞれのツーショット写真があります、まりちゃん、一人で忙しかったんですね~

 

19685

昭和43年5月

私この頃、昭和43~44年にかけて、同じ夢を何度か見たことがあります。
園まりさん見たさに、テレビ局に見学に行った。
楽屋とスタジオ間の廊下で待ち伏せしていると、奥の方でざわめきが聞こえる。
「園まりさん登場か?」と期待して待っていると、歩いてきたのは黛ジュンさんでガッカリ。
この夢をくり返し見たんです。
そのうち、夢の中でも予想がつくようになった。
「あ~また黛ジュンだろうなぁ」って(笑)

ランキング表を見る限り、黛ジュンさんは昭和43・44年、とても人気があったようで、テレビをつけると、見たくなくても(失礼)いつも出てた^^;
園まりさん、人気・実力ともに充実していたのですが、プロマイドの世界では世代交代を感じますね。

あれから45年、当時のプロマイドや雑誌の切抜きをいまだに持っている人は、何百万人もいるんでしょう、きっと。

忘れもしない昭和46年の夏休み、親戚の家に行ったら、年上の従兄弟が古雑誌を後生大事に溜め込んでいた。
見せてもらいましたよ、そこにはデビュー当時から全盛期までの園まりさん、いつも楽しいザ・ピーナッツ、若い頃の江利チエミさんやブレイク前のいしだあゆみさん。
それは、宝石箱をひっくり返したように、華やかだった。
いるんですよね、こういった青春の1ページを大切にとっておく人。

あなた、今でも持っていませんか?
昔、こっそり机の引き出しにしまいこんだ、園まりさんの写真。
 
 
 
 
 

2015年11月6日追記

この表は「ビルボード・ヒット・オブ・ザ・ワールド」に入れようか、それともこちらにしようか迷ったんですが、日本の資料なのでこちらにしました。

 
10   Img_2
こちらの本から
   
 
写真の表は、昭和41年の年間ヒットランキングで、レコードの売り上げとリクエスト数から割り出されたもの。
リクエストは「有線放送」「ジュークボックスリクエスト」「はがき投票」等をまとめたものです。
この年、新譜として発売された曲が1200曲余り、その内「今週のトップ1」になれたのはこの表にある10曲ほどしかない。

この熾烈な競争の中で、二ヶ月以上「トップ1」の人気を維持したのは「♪夢は夜ひらく」と「君といつまでも」の2曲だけ。
しかも、10曲の内、加山雄三さんと園まりさんは複数の曲をランク入りさせて、他を圧倒する人気があったんですね。
 
しかし、男性歌手部門で見ると、加山さんの人気は『圧倒的』とはいうものの、他の歌手と人気を分かち合っているのが判る。
ところが、女性歌手部門で見ると、園まりさんの独壇場で、プロマイドの人気ランキングと同じ現象が起きているのです。
 
昭和41年42年ごろ、私は小学生高学年で、普通なら芸能人に関心を持つ年齢じゃなかった。
でも園まりさんのことは鮮明に覚えているし、大好きでした。

テレビ、ラジオ、雑誌等で接する機会が特別に多かったからだと想うのですが、それは偶然じゃなくて必然だったんですね~

そして何よりも、まりちゃんの「唄声」「顔立ち」「雰囲気」、ことに「宮川メロディ」は私の琴線に触れて理想の大人に想えた。
「なんて明るくて優しそうな人なんだろう・・・」
 
中学生になって、思春期を迎えたとき、理想の大人像が理想の女性像になったのも偶然じゃなくて必然だったと想うのです。
 
今でも園まりさんは理想の人物像ですが、それは、まりちゃんの人生に何があったか、現在(いま)どれほどいきいきとしてがんばっているか、伝え聞いてそう思うのであって、決して単なる想い込みではありません。

・・・おしまい

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