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「♪涙の谷間に太陽を」

Shimakura_namidanotanimani

○ひとりじゃないぞ 負けないぞ

「あいちゃん」こと私の母は島倉千代子さんが大好き、若い頃は、いつも家事をしながら唄ってた。
数え切れないくらい、たくさん聞かされ、いつの間にか、私も島倉さんの歌を憶えました、今でも何曲かは歌えます。
幼い頃「お母さん、楽しいから歌っているの?」と訊いたら「悲しいから歌っているんだよ...(涙)」なんて言われて、ドン引きしたこともあったっけ。

その母が認知症になって3ヶ月、こんどは転んで骨折した。
肋骨3本と尾骨仙骨を痛めてしまったのです。
頭と体の両方がいうことを利かなくなって、しょげかえる母を見ていると、介護をしていても、辛くて、悲しくて、切なくて・・・
物忘れ外来の先生曰く「あまり動けないのなら、テレビや音楽で、出来るだけ脳を刺激してあげてください」とのこと。

それで、母が持っているCDを全部CDラジカセに詰め込み(最近MP3再生に対応しているのに気がついたんです)、聞かせる毎日。
その歌を聴きながら介護をしていて、蘇った記憶があります。
子供の頃に覚えた島倉さんの歌は、すべて母の唄声からと想い込んでいたのですが、一曲だけ自分で覚えた歌があった。

「♪涙の谷間に太陽を」
今ではあまり話題に上らないのですが、当時は頻繁にラジオで流れていた、大ヒット曲。

この歌、母の唄声ではなく、ラジオで憶えたんです。
今この時、自分の心情にぴったり合っているような気がして、聴いているうちに涙がポロポロこぼれました。

「ながれる涙  あるかぎり まだ悲しみに  耐えられる♪」
私が15歳の夏、父が急逝したとき、涙は流れなかった。
母は、ショックと悲しみのあまり気を失い、私は死んだように横たわる母を抱きしめ、「どうやって、この家と母を護ればいいのだろう?」と、不安と絶望に震えていた。

それに比べたら、今はまだ余裕があるんだと思う。
でも、あんなに深く私を愛してくれた母の心は、少しずつ無機質になっていく。
いいえ、母の愛が消えてしまうと嘆くより、愛してあげよう、どこまでも。
今までいっぱい愛してくれたのだから、これからは私が精一杯愛してあげれば良いじゃないか。

それに、私には妻がいる、弟がいる、子供たちがいる、皆心強い味方なんだ。
ひとりじゃないんだ 負けるものか!
母に語りかけました。
「お母さん、大好きだよ、愛してるよ、オレ必ず、お母さんを護ってみせるからね」
「皆、お母さんの味方だからね、ひとりじゃないぞ 負けないぞ」
不安のため表情が消えてしまった母の顔に、かすかに微笑が戻ったように感じました。


○<あゆみの会>

「♪涙の谷間に太陽を」のジャケット内には次のように書いてあります。


西沢 爽 作詞
和田 香苗作曲
森岡賢一郎編曲

   涙の谷間に太陽を
     島倉千代子
     コロムビアゆりかご会
     コロムビア・オーケストラ

一. ながれる涙  あるかぎり
   まだ悲しみに  耐えられる
     あなたよ 心に燃えている
     若いいのちを 信じよう
   呼ぼうよ  呼ぼうよ  太陽を
   涙の谷間に  太陽を

二. 愛されないと 泣くよりも
   愛してゆこう どこまでも
     あなたよ この世を嘆くまい
     空の青さは 誰のもの
   呼ぼうよ 呼ぼうよ 太陽を
   涙の谷間に 太陽を

三. こがらしの道 つらくても
   ひとりじゃないぞ 負けないぞ
     あなたよ 明日の幸福は
     結ぶこの手に 花ひらく
   呼ぼうよ 呼ぼうよ 太陽を
   涙の谷間に 太陽を
   涙の谷間に 太陽を


ー「涙の谷間に太陽を」
        (小此木孝夫著 芸文社刊)よりー


以上EPシングルから
昭和41年10月発売 50万枚のヒット

二行目と三行目が一文字下げてあるのは、何か訳があるのでしょうか。「ひとりじゃないぞ 負けないぞ♪」と語りかけるような唄声が、とても優しい。

ー「涙の谷間に太陽を」(小此木孝夫著 芸文社刊)よりー

歌詞の後に書いてあるこの著書をみると、次のようなものでした。


Namidanotanimanitaiyouwo

小児マヒを克服したあゆみの記録
涙の谷間に太陽を
小此木孝夫
芸文社
昭和41年5月25日 1刷発行

目次
このあとに続くもの   城戸 禮
第一章 さげすまれ泣かされてばかりいた少年時代
第二章 土方から沖仲仕へと放浪の日は続く
第三章 ついに東大病院で手術を受ける
第四章 夜間高校マラソン通学の喜びと悲しみ
第五章 小児マヒの子どもに太陽を
あとがき


著者の小此木孝夫(おこのぎたかお)さんは昭和17年8月30日、群馬県に生まれる。

幼くして小児マヒに冒され、右半身に麻痺が残った。
そのため小・中学校時代、苛めぬかれ、自分の体のことを知らない人の間で生きようと家出する。

二年間、川崎、横浜などで不自由な体を引きずって土方や沖仲仕(おきなかせ)をしながら放浪し、その後東京に出て『斉藤工務店』に勤める。
働きながら治療費を貯め、昭和36年11月、東大病院で足の手術を受ける。

普通に歩けるようになったので、人より5年遅れて新宿高校の定時制に入学。
しかし右手は不自由なまま、そのため、好きな人が出来ても気持ちを打ち明けることすら叶わず絶望、自殺を企てる。

せめて、この世に生きた証を残したくて、全国の同病者のため募金活動を計画する。
より多くの募金を集めるため、芸能人の力を借りようと考えた彼は、八方手を尽した後、俳優の伴淳三郎さんと出会い、同じく小児マヒのため募金活動をしていることを知る。

当初は高校の仲間と募金活動をしていたが、自殺に失敗した後、「たすかったこの命を、小児マヒに悩む子供たちのために捧げよう」と決心し、募金の仲間たちと「会」を結成。
『あゆみの会』と命名された組織は、石原裕次郎さんのデザインと文字が入った「会旗」を贈られ、伴淳三郎さんの活動に協力する。
この発会式には石原さん、伴さんは出席できなかったが、日活の取計らいで松原智恵子さんが出席、新聞に報道される。
それは昭和39年、東京オリンピックも近い9月のことであった。

『あゆみの会』は全国的に有名になり、『小此木孝夫』の名も広く世間に知れ渡る。
だが彼の心はキリキリと痛んだ。
もともと、自分の体のことを隠して、知らない人の間で生きようと、家出したのである。
どのような形であれ、体の障害を世間の目にさらすのは辛かったのだ。

しかし、「それで『小児マヒ』が広く世間に認知され、病魔に苦しむ子供たちに救いの手が差しのべられるなら」と思いなおし、募金運動を続けた。

彼らが続けている募金は、昭和40年2月、伴淳三郎さん主催のチャリティショーで、箱をあけることになっていた。
それまでには、伴さんから新たにあずかった二十六個の箱も、必ずいっぱいにしようとがんばるのだった。

『あゆみの会』は伴さんの運動に協力するための組織だったが、彼はその後『青年あゆみの会』を発足する。
彼とその仲間たちが独立して運動を続けるための組織である。
次の世代にバトン・タッチしても運動を続けられるために。

彼の障害は、この本(涙の谷間に太陽を)でいっそう世間にさらされることになるだろう、それは辛いことだった。
しかし、苦い涙の記憶を書き終えて、逆にすがすがしい気持ちになり、明日への勇気がわいてくるのだった。

ー 完 ー
               

Sannkoutosyo

参考資料

この本を読んでピンときました。

島倉さんが唄った歌詞は、小此木青年の自伝そのものであり、「ひとりじゃないぞ 負けないぞ♪」と唄う部分は、年末に木枯らし吹く中、仲間といっしょにがんばった募金運動のことだと。

 

○「♪涙の谷間に太陽を」唄・島倉千代子

小此木孝夫さんと島倉千代子さんの接点はどこにあったのでしょうか?

彼は『歌手・島倉千代子』の熱狂的なファンであり、東京に来たその日、最初に「島倉千代子ショー」を観ています。
それどころか、東大病院に入院中の正月にも、こっそり病院を抜け出して「島倉千代子ショー」を観にいったほど。

そして、こんなことを言っているのです。

「あの人の歌を聞いていると、なぜか心にやすらぎをおぼえ、しあわせだった。かなしいとき、さびしいとき、あの人の歌を聞くと、かなしさも、さびしさも、拭われて、気持がやすらいでゆくのがわかる。」

「ぼくの千代ちゃん気狂いは有名で、斉藤工務店の仲間たちは、ぼくのことを千代子、千代子と呼んでいた。子供の頃はアダ名を呼ばれるのは何とも苦痛だったが、千代子というこのアダ名は、ぼくをくすぐったくさせるだけで、そんなにいやなものではなかった。」

芸能界と関わりがあり、マスメディアにも大きくとりあげられた小此木青年のことを、島倉さんは知っていたことでしょう。
「共感できること」を前提に唄うのが『歌手・島倉千代子』です。
『♪涙の谷間に太陽を』を歌うにあたり、この著書を読まれたに違いない。
ご自身も大怪我のため左手が不自由だったこと、実姉が小児マヒであったことなども考えると、涙を流しながら読んだかもしれない。

それでも私は想うのです、この曲は、辛い想いをしている全ての人を、励ますための歌だと。

私自身も昭和41年の初め頃まで、担任教師にひどいイジメられ方をして、死にたい気分だった(本気で死のうと思った)。
でも、この歌を憶えた頃には、意地悪教師からも解放されて、何となく気持ちが上向いた時でした。
当時は誰が歌っているのかさえ知らなかったけど、優しく、力強い唄声を聴いて、明るい未来を感じたものです。

島倉さんのイメージは「お母さん」です。

私の年代からすると、そこまで歳は離れていないし、世代によっては、また違った印象かもしれません。
でも、いま、また優しい唄声を聴くと、幼い子供に戻って、島倉さんにギュウって抱きしめられたい気分・・・

『♪涙の谷間に太陽を』コンサートバージョン
 
こちらは「あなたよ♪」と唄うところがとても優しい。
ステージの最後、アンコールに応えて唄う姿が、観客の手拍子が、大合唱が目に浮かぶ。
貴重な音源をアップしてくださった『norio2bo』さんに、感謝です。

この動画の説明欄には島倉さんの台詞が書かれています。
 
歌は 人と人との思い出をつなぐもの

歌は いつも あなたに思い出をつれてきます

歌ってください   あなたの思い出を

私も 思い出を歌い続けます

さよなら さようなら さようならー

                 
・・・さようなら、あなたのことは忘れません、いつまでも。
 
 
おしまい
          
           

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