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「♪この世の花」

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○誕生日のプレゼント

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島倉千代子 60周年記念 スーパーヒット・セレクション
写真2枚とかわいいイラストのミニステッカー入り

私の母は、若い頃から島倉千代子さんが大好き。
私が物心ついた頃から、いつも「♪この世の花」を唄っていた。
くり返し聞かされて、フルコーラス憶えてしまったほどです(今でも歌えます)。

ということで、一昨年はCDラジカセ、去年の敬老の日は美空ひばりさんのBOX、今年は、このすばらしいアルバムがリリースされたので、7月の誕生日にプレゼントしました。

ところが、その頃から母は体調が優れず、8月になって入院。
さぞかし心細いだろうと、お気に入りのCDを、ヘッドホンステレオに詰め込み、病院へ持って行ったんです。
途中までは機嫌よく鼻歌を歌いながら聴いていたのですが、「♪この世の花」で声を詰まらせ、ぽろぽろ涙を流し、困った・・・

 

○蕾のままに 散った恋

話は変わりますが、ここでひとつ、実らなかった初恋のお話を聞いてほしいのです

終戦後ほどなく、朝鮮から引き上げてきた、一組の家族がおりました。
その中に、15歳の少年がいて、あだ名を『たきちゃん』と言います。
日本に帰ってきた『たきちゃん』は従兄弟の会社で、仕事を手伝いながら学校に通うことになりました。
歳の離れた従兄弟は村一番の富豪で、大きな工場と会社を持っていた。

この会社に、一人の少女が就職してきたのです。
歳は16、近くに住む、当時としては比較的裕福な農家の娘で、あだ名を「あいちゃん」と言います。

そして会社のお仕事で一緒になりました。
歳の近い二人はお互いが気になって仕方ありません。
ほとんど言葉を交わすこともなかったけれど、それぞれ、相手の視線を感じつつ、胸をときめかせていた。

そんな日々が続くうち、いつしか『たきちゃん』は、この一つ年上のお姉さんが、好きになってしまいました。
当時のことですから、気持ちを口に出したりしません。
でも、『あいちゃん』は感じたのです、『たきちゃん』の好意を。

彼女は恋をしました、生まれてはじめて経験する、不思議な気持ちです。
田んぼの藁束の影に身をひそめ、彼が友人と一緒に歩く姿を遠くからこっそり眺めました。
笑うと白い歯が爽やかな美少年、その姿を見ているだけで幸せだった。
そんなに遠くから見えたのかって?
見えましたとも、だって『あいちゃん』視力が2.0(笑)

二人は会社でしか話をすることはありませんでしたが、その気持ちは周りの大人たちにもわかります。
やがて公認の仲となりました。
あるとき、会社の裏手にある観音さまの夏祭りで、『たきちゃん』は飲み過ぎてしまいました(未成年なのに ^^;)。
社長は、『あいちゃん』に「介抱してやってくれ」といいます
彼は酩酊状態で一言も話をしてくれません、でも彼女にとって、このときが、人生で一番幸せな瞬間でした。
彼の手を握ったのは、このときが最初で最後です、たぶん。

私、『あいちゃん』に訊いてみたんです、「膝枕してあげたの?」。
『あいちゃん』は恥ずかしそうにうつむいて、首を横に振るだけです。

その後、一度だけ会社の外で会う機会があったそうです
『あいちゃん』の姉が結核で入院しているとき『たきちゃん』の兄も同じ病院に入院していた。
お見舞いのとき、偶然出会い、二人だけの時間を持つことができた。
二人は少し離れて座り、あまり話もしなかったけど、一緒にいるだけで幸せでした。

彼女が18歳のとき、家にお中人さんが来ました。
「『たきちゃん』の許婚(いいなずけ)に、ぜひ娘さんを」
私の勝手な考えですが、これは彼のプロポーズだったと想うのです。
当時、良家の子女は、人を立てて「想ひ」を伝えることは珍しいことではなかった。
『あいちゃん』はうれしかった、「あの人と一緒になれる」、そう想うと、未来がバラ色に見えた。

ところが、彼女が19歳のとき、事態が一変しました。
遠い親戚へ養女に出されてしまったのです。
そこには、やはり遠い親戚から養子に出された『みっちゃん』と呼ばれる男性がいて、その人と祝言(しゅうげん)を挙げることになった。
本人の意思とは全く関係なしです。

理由をここに書くことはできません、大勢の方々のプライバシーが関係しているので。

『あいちゃん』は何度も実家に逃げ帰りましたが、その度に、つれ戻されます。
唯一の救いは『みっちゃん』がとても優しい人だったこと。
「どうしても想いが叶わぬなら、この人でも良いかな?」と思ったそうです。

しかし二人は相当ひどい扱いを受けていたようで、満足に食事も与えられなかった。
そのため『みっちゃん』は家出を決意、「生活できるようになったら、必ず迎えに来るから」と言い残し、姿を消してしまいます。
養子先の家が彼を探さなかったのは『あいちゃん』さえ引き留めておけば、「そのうち彼も帰ってくるだろう」と思ったからです。

『みっちゃん』はそれまで、「バンドマン」をしていて、音楽で生計を立てていたのですが、静岡の片田舎では食べて行けないと、理髪師の免許を取った。
修行したくて、当時理髪師のメッカだった『神戸』を目指して列車に飛び乗ったのですが、家出の悲しさ、電車賃が足らず『名古屋』で降りた。
名古屋で住み込みの職人から始めて、一人前と認められるようになった頃、『あいちゃん』に毎日ラブレターを書いた。

「名古屋においで」

養子縁組した家に出すと、本人に渡らないと想い、彼女の実家に出したのです。
実家に里帰りした彼女はそれを見て「この人について行こう」と思ったそうです。
『たきちゃん』への想いは決して消えることはありませんでしたが、それを胸の奥にしまいこみ「みっちゃん ひと筋」の人生を決意し、家出したのでした、名古屋を目指して。

このお話は実話で『あいちゃん』と『みっちゃん』は私の両親です。

 

○「あの世の花」

なぜ、こんなプライベートな話を詳しく書いたか?

実は『あいちゃん』こと私の母が認知症になった。
今は息子である私の名前が出てきません。
自分の名前も言えなくなった。
早逝したとはいえ、20年連れ添った夫の名前さえも・・・
唯一鮮明に覚えているのは『たきちゃん』のことだけです。

息子としてはとても複雑な気持ちで、「初恋の人」の事なんか、きれいさっぱり忘れても良いから、夫(私の父)のことだけは覚えていてほしかった。

でも今『たきちゃん』のことまで忘れたら、母の人生には何も残らなくなってしまう。
今は、その想い出にすがりつきたい気分です。
もし、大切な想い出が消えてしまっても、「こんな人がいるんだなぁ」って、このブログを読んだ人に、知ってもらえたら幸いです。

私が「『たきちゃん』今どこにいるの?」と訊いたら、「・・・天国」と答え、ポロリと涙をこぼしました。
十余年前に、消息を確認したらしいのです。
ひととおり話をした後、母はポツリとつぶやきました。

「たきちゃん、かわいかった」

 

○島倉さんの「♪こどもたち」

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「♪この世の花」

想うひとには 嫁がれず

想わぬひとの 言うまま気まま

悲しさこらえ 笑顔を見せて

散るもいじらし 初恋の花

 

私が生まれた年に、16歳だった(レコーディング時)島倉千代子さんが歌い、大ヒットしました。

歌謡曲史上最大のヒット曲は、500万枚を売り上げた「♪およげたいやきくん」だといわれていますが、昭和30年のレコードプレーヤー普及率を考えると、最大のヒット曲は「♪この世の花」かもしれません※。
私の母だけではなく、当時はこんな人がたくさんいて、共感を得たのだろうと想います。

自らが歌う歌謡曲の数々を「愛すべき こどもたち」と言い、生涯情熱を燃やし続けた島倉さん。

母が退院した翌日、アルバムに収められた36曲、すべて拝聴しました、どれも心にしみる歌ばかりです。
私はファンではないのですが、母があれほど好きだった理由(わけ)が、分かるような気がしました。

※昭和30年3月発売「♪この世の花」200万枚

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