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「5冊のアルバム」

副題:一昨年書いた「真実の園まり」の続編です

私、若いころから不眠症の癖がありましてね。
真夜中、小さな音、たとえば猫の足音で目が覚めたりする(おおげさ~^^;)。
一度目がさめるとなかなか寝つかれなくて、それが悩みの種だったんです。

そんなとき、以前はCDをかけていたんですが、それだと楽器だけの部分(イントロや間奏)で逆に目が覚めてしまう。
それが一昨年「くにまるジャパン」のサイトから、「ラジオ バイオグラフィー 5冊のアルバム」で、園まりさんがゲストだった回の音声ファイルをダウンロードしてから、解消しました。
これを小さな音で流しておくと、心安らかに眠ることができるんです。

「5冊のアルバム」は毎週有名人を招き、五日間にわたってインタビューをするラジオ番組。
もう、繰り返し、100回以上は聴きましたね、おかげで内容をほとんど憶えてしまった。

また、このお話の途中、数曲アカペラで歌われてもいます。
いずれもほんの数秒間ですが、これが本当にすばらしい。
可憐で繊細な唄声、唯一無二の独特な世界。
やっぱり、歌うためにこの世に生を受けた人なんだと、改めて認識させられました。

そして、くにまるさんのリードが良いのでしょうか?
園まりさんの声が、普段よりリラックスしていて、心地よいやわらかさ。
気持ちが表に出ている感じがします。
「え?」と思うくらいに飾り気のない、究極の癒し系で「素顔のまりちゃん、こんなに素敵なんだ」と思いましたね~

でも、残念なことに、あれから2週間ほどでダウンロードファイルは削除されてしまい、現在は聞くことができません。
もっと大勢の人に聴いてほしかったんですが、私のブログから配信するわけにもいかず、「せめて紹介記事と感想くらいは書こうかな」と思い立ちました。
ただ、放送内容の中から、私がかいつまんで書いているうえ、他で見聞きした話も混ざっているので、お話としては繋がりが悪い部分があります、ご了承ください。

 

 

○生まれ育った家庭と家族のこと~歌の世界が開けるまで 2012年12月3日(月)放送

「歌手:園まり」のデビューは渡辺プロダクションに女優として所属していたお姉さん(深山ユリさん)と同じ事務所からでした。

三人姉弟の真ん中に生まれた園まりさん、幼少期から少女時代にかけては「平和」「安泰」といったものがありませんでした。
お父様は音楽が好きで、芸術と芸能に情熱を燃やす「夢追い人」、ほとんど定職を持たず、家を空けることが多かったそうです。
そんな父親に代わって、お母様は洋裁で家計を支え、多忙を極める中、3人の子供を育て上げます。

留守がちな父と多忙な母、会話もなく、静まりかえった家の中、「家族団らん」や「親子の交流」には恵まれなかった。
「寂しかった」「両親が怖かった」と語る言葉の底には「家庭崩壊の危機」に怯える少女の不安が感じ取れるのです。

そんな背景ですから、お母様はとても厳格な躾をなさったそうです。
不安定な心から、まちがった方向へ育ってはいけない。
「品よく生きなさい」・・・そのことだけを繰り返し言われたと。

音楽との出会い、それはお父様が子守唄代わりに歌った「♪荒城の月」。
朗々とした歌声は、幼かった園まりさんの脳裏に焼きつき、歌の世界を開く鍵となります。
やがてお父様は、自身が叶わなかった歌手への夢を、愛娘に託します。
薗部毬子ちゃん10歳の時、御茶ノ水にあった「杉の子こども会」へ、その後「キング児童合唱団に」。
そして「キング児童合唱団」から「♪つゆの玉ころり」でレコードデビュー。
本名の「薗部毬子」名義で吹き込んだこのレコードは「児童合唱団」在籍中であったにもかかわらず、ソロで歌いました、しかもフルオーケストラをバックに。

私の想像なんですが、まだSPレコードの時代で、マルチトラック録音の技術は確立されていませんから、いわゆる「一発録り」だったはず。
生バンドにあわせて唄い、すべてを同時録音です、11歳の少女がそれをこなしたんですね~
録音した場所は、あの江利チエミさんやザ・ピーナッツがレコーディングした音羽スタジオだったのでしょうか?

番組内では、ここで「♪つゆの玉ころり」と「♪荒城の月」をアカペラで唄います、園まり節特有の深いビブラートではなくて、浅くて小さい繊細なビブラート・・・歌いながらも懐かしそうな声。

でも、当時どんな気持ちだったかというと...
周りの大人に嫌われたくない、大人たちの希望に応えたいとの思いから、優等生になろうとして唄っていた自分が、「好きじゃなかった・・・」
ちょっと言いにくかったんでしょうねぇ、想わず声が小さくなった。

 

 

○童謡歌手から「スパーク3人娘」まで 2012年12月4日(火)放送

いきなり「♪つゆの玉ころり」のアカペラから始まります。
くにまるさんの「やっぱ、園まりだな」の一言に笑い転げるまりさんですが、私もそう思いました「やっぱり、園まりだぁ~」^^。

1960年、開局間もないNETのTV番組「あなたをスターに」にエントリーします。
これは、東映ニューフェイスのオーディション番組であったようなのですが、お父様は「スターになればその後に歌手の道が開ける」と考えて番組出場の手配をしたのかもしれません。
ここで園まりさんは「♪心の窓にともし灯を※」を歌って見事に優勝、しかし女優になる気はありません。
私の想像なんですが、最終審査の面接で「わたし、歌手になりたいんです」って言ったのかもしれません、結局採用にはなりませんでした。

このあたりは、おとなしい少女の中にあった歌手への強い拘り、頑固さみたいなものを感じるのです。
でも、父の情熱はそれを超えていた。

※(事務所の先輩、ザ・ピーナッツさんのお二人が唄った曲ですが、なぜかこのお話をするときは、必ず曲名をいわれます)

次には、上大崎にある渡辺プロダクションの社長宅に連れて行かれました。
何も知らされず通された応接間で、後に恩師となる宮川泰先生に出会います。
ピアノの前に座った先生が、誰であるかもわからず立ち尽くす園まりさんに、社長の渡辺晋さんは「何か一曲歌いなさい」。
たぶん、そのときになって初めて、オーディションであることに気がついたんでしょうね、憧れていた大津美子さんの「♪ここに幸あり」を歌いました、宮川先生のピアノと父親譲りの声で朗々と。
オーディションは合格、渡辺プロダクションに入社し、歌手活動に専念するため、学校は高校2年のとき中退します(何の迷いもなかったようです)。

当時はカバーポップス全盛期、すでにその世界で活躍していた、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんとトリオを組むことになりました。
「三人一緒のほうが売り出しやすい」という会社の方針だったのでしょう、しかし歌謡曲志向だった園まりさんは、相当戸惑ったようです。
その戸惑いをよそに爆発的人気が出ました「スパーク3人娘」の誕生です。
三人バラバラの個性が受けたのでしょうか、「三人娘」の全盛時代は3年も続きます。
数多く抱えたレギュラー番組、密度の濃いスケジュール、都内の放送局だけでなく、日本全国津々浦々まで巡業しました。
寝台列車でベッドの取り合いをした話など、「いつも三人一緒で楽しかった」そうです。

しかし、三人の個性は次第に際立ってきます。
中尾ミエさんや伊東ゆかりさんは「洋」、園まりさんは三人娘のコンサートでも絣の着物を着て「♪宵待ち草」を唄うなど「和」のイメージに。
それぞれが「自分の世界を持ちたいな」と想い始めたころ、あの曲ができたのです。

 

 

○トップスターに~見失った青春  2012年12月5日(水)放送

Photo

「♪何も云わないで」はこんなスタイルで

あの曲・・・「♪何も云わないで」、この曲は園まりさんの出世作であり、作詞した安井かずみさんの出世作でもあります。
「NHKきょうのうた」で毎日放送されることになったとき、「自分らしさを出したい」と思った園まりさんは、ショートの髪をアップにし、絣の着物姿といったスタイルを考え出します。

ヘンシンしたのはビジュアルだけではありません。
声を抑えて唄う「園まり節」、それまでのポップスで声を張り上げた唄いかたとはまったく違う歌唱法。
もちろん、言わずと知れた恩師、宮川先生から伝授されたもの。
これが、新しい名曲とあいまって、大反響を呼び、ソロシンガーとして大きく飛躍します。
時期的にもそんなときだったかも知れませんが、それをきっかけに三人娘は解散、それぞれが独立してゆきます。

私の記憶だと、昭和38年ごろまでは、テレビやラジオでカバー・ポップスがいっぱい流れていたような気がするんですね。
それが青山和子さんの「♪愛と死をみつめて」、園まりさんの「♪何も云わないで」この二曲の大ヒットで流れが変わった。
カバー・ポップスから歌謡曲の時代へ。
昭和40年に「♪夢見るシャンソン人形」のカバー・ヒットを聴いたとき、「カバー・ポップス」を懐かしく感じたくらいですから、たった2年で時代は変わっていた。
そしてビートルズのブームで「洋楽はカバーではなく元歌を聴くもの」になり、「カバー・ポップス」はとどめを刺されたような気がするんです(私が個人的にそう想っているだけです)。

話は戻って、園まりさん、ここで「♪何も云わないで」の唄いだしをアカペラで数回。
「歌は語りだ」と宮川先生から指導されたときのことを、嬉々として説明されています。
本当に思い出深いんだなぁ~、そんな気持ちが伝わってくる。

まりちゃんの歌声、実際にはかなりの声量があるはずなんですが、聴いた感じは、消え入るように繊細。
これが、当時は「ささやきムード歌謡」と言われたらしいのですが、とくに「♪何も云わないで」は胸の奥がキュンとする、魔法のような力があります。
幼い日、何かが悲しくて、泣きじゃくっているとき、母親に「よしよし」してもらったことって、ありませんか?
そんなとき、ホッとして安心する反面、よけいに涙が出てきちゃうじゃないですか。
あの感じにちょっと似ている、といえばわかってもらえるかなぁ(私だけかもしれませんが)。
一緒に歌っている「♪逢いたくて逢いたくて」のアカペラも、同じくらい好いですよ。

で、園まりさん、すっかりうちとけてお話されているので、ソフトというか、ふわっと柔らかい、とてもいい声をしているんです。
「♪つれてって」を歌っていたころ、映画「クレージー黄金作戦」に出演されましたが、そのとき演じた「花園百合子」の雰囲気です。
それが、もうちょっと庶民的になった感じで、これが普段の素顔なんでしょうね。
そういえば「黄金作戦」の中でも「♪何も云わないで」の歌いだしはアカペラでした、DVDをみて想像するといいかもね^^

・・・気がついたら「5冊のアルバム」で放送されなかったことばかり、書いてますな。
まぁ、書きたいことを書くのが私の主義なので(^┰^ゞ

「宮川先生から伝授された歌唱法、今想えばとてもありがたい」今あるのは先生のおかげと感謝する園まりさんですが、当時は歌がヒットするほど、どこかで虚しさを感じていた。
「自分は何を望んでいるんだろう」「何のために歌っているんだろう?」。

幼いころから、父親の期待に応えようと、一心に歌った日々。
周りに支えられている自覚から、優等生になろうとした日々。
長じては、自身の人生と青春を見失い、迷い悩んだ。
歌が売れるほど、有名になるほどに孤立感を深める魂。
それなのに、「恋か、仕事か」のギリギリのところで、仕事をとってしまう矛盾した心。
「わたし・・・結婚とか恋愛ってどう考えているんだろう...」
当時、彼女を真剣に愛した人も理解し得なかった、心の底まで語られています。

私、十代の終わりころ、膝を痛めて通院していたことがあるんですが、病院の待合室で、雑誌をパラパラと捲っていたら、園まりさんの写真があった。
背中が大きく開いたドレスで佇む後姿。
その横顔は妖艶で美しく、想わず見入っていました。
でも何となく寂しそうに見えた。
その時の自分の年齢から逆算すると、まりさんが30歳か31歳くらい。
あの寂しそうな表情は「虚しさ」だったのだろうかと今になって想います。

 

 

○家族の絆を結びなおし  2012年12月6日(木)放送

一般人が、普通に経験することを、なにも知らずに生きてきた、園まりさん。
お母様と同居し、付き人もいて、身の回りのことは殆ど人任せだった。
かごの中の「カナリヤ」には「人生経験」がなかった。
女優としての演技も作り物、人生の歌も作り物。
「このままだと私、だめになってしまうのでは?」と不安が過ぎります。

そんなとき、家族で経営していた赤坂のお店(喫茶店と花屋さん)がバブル景気のため高値で売れ、財産分与されます。
これを機に、43歳で一人住まい。
園まりさんにとって一大決心、お母様には「恐るおそる」お願いしたようなのですが、お母様はすんなり「ひとりぐらし」を承諾されたそうです。

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林間学校でカレー作り

すべてが初めて、未経験、銀行口座を作るのさえ冷や汗もの。
でも、新鮮な喜びと自由に満ちた日々。
そんなとき、(一般人の)友人から誘われます。
「子供たちの林間学校に参加して、料理作りにいこうよ!」
まだ料理に自信がなかった園まりさんは「ニンジン・玉ねぎ・きざみ隊」として参加。

新鮮な山の空気、普通の主婦と一緒に、エプロンがけで包丁を使っているうち、『薗部毬子』を取り戻します。
見失っていた自分を、やっと見つけた。
求めていた心を、やっと見つけた。
「今がそうなんだ!」
素朴な感動に涙がポロポロ出てきました。
驚いたのは、周りの友人たちだったようです。
「え゙~?? まりさんって、こんなことが、それほどうれしいの!」

本当に嬉しそうにお話されるんですが、それがかえって「名声と引き換えに失ったもの」の大きさ、を感じさせるのです。

園まりさん、一人住まいのなかで、人との出逢いをとおし、貴重な経験を重ねます。
人生を振り返り、後悔する部分もあったようです。
そして、疎遠になっていたお父様と「絆の結びなおし」を望むようになります。
「お父さんにもう一度会いたい、後悔を残したくない」

それで、お父様を自宅に招きます、少女時代に望んでも叶えられなかった「親子の交流」をしたのでしょう。
お父様は涙を流して喜ばれたそうなのですが、その帰り、別れ際に変な咳をしていた。
病院に連れて行くと不吉な予感は当たってしまい、「肺がん」の宣告を受けます、すでに病気は進んでいました。

このとき、開店休業中だった園まりさんは「父に尽そう」と決心します。
今は亡きお姉さまと一緒に、親身の看病をします。
少女時代からの複雑な想い、心の中にしこりもあったのですが、それも徐々にほぐれ、失いかけた「父娘のきずな」を取り戻す日々は、有意義で幸せな毎日であったようです。
お父様も、見違えるように人が変わっていきました。

もうひとつ心に決めたことは、父と母、二人の絆の結び直し。
放送の中では触れられていませんが「夢を追い続けた父」はお母様とうまくいかなくなり別居、一人暮らしをしていたのです。
それを何とかしたい、後悔させたくない。
「お父さん、このまま、ねじれてしまったんじゃ・・・思いを残すんじゃない?」

お母様にもお話をし、病院に来てもらいます。
病院の廊下に響く足音が近づいて、病室のドアが開いたとき。
「今まで本当にわるかった・・・申し訳なかった...」お父様はベッドの上に正座して謝られた。
その心は誠実で気高く、園まりさんは、本当にうれしかったそうです。
幼い日、家庭崩壊の危機に怯えてから数十年、園さんの苦労はやっと報われたのでしょうか。

夫婦の絆を結びなおすことができて、お母様がまた病室を訪れたとき、お父様の意識はありませんでした。
それでもやはり苦しいのでしょう、額に汗が浮かび、お母様はそれをそっと拭います。
そのときお父様の目じりから一筋の涙が。
「意識がなくても分かっているんだ」二人の絆の強さに園まりさんの心は、感動にふるえます(声を聴いていると、わかるんです)。

お話している御本人の印象が清廉なため、とても清らかな物語に感じられるのですが、実際のところ、綺麗ごとではすまなかったこと。
お互いに愛し合いながらも、わだかまりを持ち、離れ離れになってしまった家族の心、ねじれてしまった絆。
それを、最後の最後、ぎりぎりのところで、命と引き換えに取り戻した、壮絶な実話なのです。
声を詰まらせ、涙ながらにお話しされている姿が瞼にうかんで、聞いているこちらまで涙ぐんでしまいました。

園まりさん曰く、「風来坊だった父」、それをここまで赤裸々に語られたのは、今ではお父様のことを誇りにされているからだと想うんです。

「園まり」の原点を語るとき、そして現在の園まりさんを語るとき、そこには必ず、お父様の存在があるのです。

 

 

○唄う心    2012年12月7日(金)放送

40年の時を隔てて、2005年に復活、7年続いている「三人娘」。
コンサートも、全国津々浦々巡りつつ活躍中。
人生の経験を重ねて歌も熟成し、三人の友情にも恵まれ、お客さんとも心の通うステージが持てる。
「歌ってて、よかったなぁ」
それは偽りのない、素直な気持ちなのでしょう。

お父様が亡くなる一月半ほど前のことです。
「♪逢いたくて逢いたくて」をソロで唄ったステージ、「沖縄で母の日公演」。
この曲は「片想い」の歌ですが、逢いたくても会えない人、心を結び合いたくてもそれが出来ないもどかしさ、切ない気持ちを唄いました。
歌の心を求め続けた園まりさんが、初めて客席に下りて唄った日、沖縄の女性たちが涙しながら聴いたという。
沖縄の女性たち、特に年配の方には、先の戦争で、家族・友人・大切な人を亡くし、悲しみを背負って生きている人が多いと想うんです。
「彼女たちの中にある、悲しく辛い歴史」を感じ取った園さんと観客の心は響きあい、ひとつになった。

沖縄から帰ると、お姉さんと一緒に病室に駆けつけ、お父様に報告しました。
「お父さん、初めてね、『♪逢いたくて逢いたくて』が、こんな気持ちで歌えたの」。

それを聞いてお父様は言われたそうです。
「歌が毬子の天命なんだよ、その気持ち、忘れちゃいけないよ」。
そして、意識はどんどん遠くなり、最後の言葉になりました、遺言に。
このときすでに、お父様の容態は、もっと早く、生前の世界に帰られても、不思議ではなかったらしいのです。
歌の心を探し続けた「愛娘の気持ち」を待っていてくれた。
父娘の心はしっかりと繋がり、悔いを残さず旅立ち、送ることが出来た。
こんな奇跡ってあるんですね。

2007年に乳がんが発見された園まりさん。
2013年1月で手術から5年、それで一区切りになり、治療が終わります。
幸い、早期に発見されたのですが、精神的には大きなショックを受けたそうです。
そのあたりは、このブログの「やまとなでしこ」にも書いたのですが、その一方「仕事」が大きな心の支えになったようです。
精神的に追い詰められて、「鬱」になりそうな気持ちを、仕事にうちこみ、活動することによって克服。

そして2011年6月に新曲としてリリースした「♪もう一度逢いたくて」。
いつもどんな気持ちで歌っているのでしょうか。
新曲発表と同じ年の1月、公私にわたり支えてくださった最愛のお姉さんを亡くし、3.11の大震災では被災地を目の当たりにし、悲しみに暮れる人たちの心に触れてきました。

この世の中、この人生、いつ何が起きてもおかしくない。
大切な人への想い、その人を亡くしたときに残る後悔。
「もっと尽せばよかった」と。

そう感じてからは「一期一会」の言葉を大切にしている園まりさん。
その心を抱きながら上がるステージ。
「私の歌を聴きに来てくださった皆さんと、つぎ、いつ逢えるか分からない」
その気持ちで精一杯の歌を聞いてほしい。
園さんの唄は、いつだって「真剣勝負」なのです。
いつも一生懸命に見える姿には、そんなわけがあるのです。

歌手として、人間として、さまざまなことを乗り越えてきた、園まりさん。
今では虚しさから開放され、唄う喜びを感じています。
ファンと心を響きあえる幸せを感じ、ファンとともに、成長できることを確信するのでありました。

 

 

あとがき

不思議なことに、素顔の園まりさんからは、唄声の中にあるような「ほのかな色香」がほとんど感じられません。
天真爛漫なところもあるけれど、優しくて清廉。
雄弁ではありませんが、格好つけず、正直に心を開いてお話されているので、感情の動きやご家族への想いなど、心の中が手に取るようにわかるんです。
その心の奥に「私のことを知ってほしい」気持ちと、誠実で純粋な魂がある。

内容的には、ちょっとシリアスな部分が多いのですが、お話している雰囲気が明るくて、基本的に楽しい人なんだなって、わかります。
これを「おちゃめ」と評する人も多いのですが、私は「かわいらしい」というのが一番当たっているように思うんです。
そのことも含め、彼女は幾つになってもチャーミングな女性ではあるのですが、それ以上に魅力的な「人」なんだと感じました。

それから・・・
このブログでは、放送内容をそれなりに詳しく書いたつもりなんですが、実を言うと、文章では伝えきれない部分が多いのです。
なぜなら、園まりさんは「言葉」ではなく「心」で語っていて、それを感じ取るためには、どうしてもご本人の「声」を聴く必要があるからなんです。
「フッ」っと一瞬だけつく「ため息」の中にも、言葉で言い尽くせない物語があって「あ、そういうことだったんだ」と理解できる。

ですから、チャンスがあったら、ご本人の声で「園まり物語」を聴いてほしい。
今月(2014年4月)は、BS放送「TIMEisLIFE~トキメキの時」のゲストとして出演されています。
もしかしたら、その番組内で、これに近いお話をされるかもしれません。
BSが受かる人はぜひ観ていただきたいと思います。
やわらかな声を聴いたら、園まりさんをもっともっと好きになってしまいますよ、きっと。

・・・おしまい

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