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まりちゃんの逸話

※注:このページの内容は、殆どが未確認情報です(訂正の可能性あり)。

○まりちゃんの後輩

Kaisannsyou


wikiを見ると、「東京の小学校時代、放送部に所属、評判の名アナウンサーだった」とあります。
へ~ぇ、そうなんですかぁ!
きっと、小学生の頃から美声だったんですね~。

Photo

〈画像は本文と直接関係ありません〉
〈校内放送で「♪つゆの玉ころり」を歌った事はないと想います〉

その頃には、安西愛子先生のもとで、歌のレッスンもしていますから、歌唱力もプロ級。
お昼休みには「まりちゃんの唄声」が教室に流れていたそうです。

その学校というのが、桜台にある「練馬区立開進第三小学校」で、生徒数700名ほどの小さな学校なのです(航空写真参照)。
だから、目立つ子は、すぐに学校中に知れ渡ったのでしょう。
小学4年のときに、保谷市(ほうやし)の学校から転校してきたので、先輩にはあまり知られていないかもしれませんが「放送部のまりちゃん」と言えば、後輩はみんな知っていたはず

その「まりちゃん」が6年後にあの「まりちゃん」、つまり「園まり」になるわけですね。
後輩の男の子たち、さぞかし自慢だったのではないかな?
「園まりは、俺の先輩なんだぜ!」
園まりさんと、一度も会ったことがなくても、そう吹聴したのではないかと。

Photo

「私たちの卒業した開進は、練馬の学習院と呼ばれてたのよ。園さん知ってらした?」
「校庭が狭くて、運動会のときはいつも大騒ぎしたこと覚えています」               .
などと、お話をしています。                                                            .

ちなみに、ここは女優の佐久間良子さんが卒業した小学校でもあります。
まりさんは芸能界に入ってから、そのことを知ったのではないかと想いますが、同校卒業生つながりで、対談などもしているようです。
小さな小学校の卒業生に、トップスターが二人、地方じゃ考えられませんよね。
こんなお話も、東京ならではでしょうか。
もっとも、この学校、『練馬の学習院』と呼ばれ、公立小学校の中では名門だったようです。

"練馬の学習院" "開進第三小学校"で検索すると、いろいろ出てきますよ。
ただ、子供たちを怖がらせるといけないので、ワザワザ覗きに行かないで下さいね(^^;。

○まりちゃんの住まい

園まりさんが全盛期、女性歌手人気ナンバーワンだった頃、どこに住んでたと想います?

1967

芸能人が大勢入居していたということで有名な『リキマンション(故 力道山の建てたマンション)』でもなく、超高級住宅街でもない、ごくフツーの町でした。
しかも、こんなふうに、住所が一般公開されていましたから、大変だったようです。
何がって?
ファンですよ、ファン。
ファンレターを直接手渡そうと訪れる人が多く、中には「プロポーズ」しようとする者もいたそうです(その中には高校生までいたんですって!)。
いずれも、お母様が対応されたようですが、プロポーズを丁重に「お断り」するのが、大変だったそうな。
(その高校生には、いい想い出になったんだろうなぁ、ウラヤマシイ)

住所を公開するのは当時、普通のことだったらしいのですが、これじゃ、安心して暮らせませんがね、危ない危ない。
今は、全く無関係の人が住んでおられるようなので、ワザワザ覗きに行かないで下さいね(^^;。

ちなみに、現在(いま)も大スターにしては、意外に庶民的な場所に住まわれているみたいです。
正確な場所は知りませんが(知っていても書きませんが)練馬区界隈からそれほど遠くない、静かで空気がきれいなところのようです。

○まりちゃんのボーイフレンド役

12_31_0_15


去年、生放送(だと想う)のワイドショーを見ていたら、浅丘ルリ子さんが出演されていました。
そこで、石坂浩二さんのことが話題になっていたんです。
インタビュアーは、有名お笑い芸人だったような気がしますが、はっきりと思い出せません。
その中で、「どうして、石坂さんと離婚されたんですか?」という質問に浅丘さん、「石坂さんのこと、最初から別に、好きじゃなかった。わたしが本当に好きだったのは小林旭さんだったの。」
えぇ゙~?!、衝撃の告白!!、観ているこちらが、ひっくり返りましたね。

さすがに、インタビュアーの方も動揺して「そっ..そうなんですか? 初めて聞きましたけど・・・」
浅丘さん「そうよ、だって今はじめて言ったんだもん」。

この話、その後週刊誌に載ったとか、ネットで噂になったとかは無いみたいなので、ここに書いちゃいけない話なのでしょうか?
もしダメなら、関係者の方、連絡くださいね、すぐ削除します(連絡先は
『著作権及び文章の転載・引用について』参照)。

そんな石坂浩二さん、女性の目から見たらどうなのでしょうか。
男性の目線で見たら、高感度ナンバーワンの芸能人なんですけどね。
事実、昭和40年代には「好青年」の代名詞でした。
それで、いつごろデビューしたのかなと調べたら、1958年『お源のたましい』ということになっています。
その後、同年『おかあさん』、1962年『しゃぼん玉ミコちゃん』と続くわけですが、『お源のたましい』と『おかあさん』は、単なるエキストラで、クレジットに名前も無かったといいますから、事実上のドラマデビューは『しゃぼん玉ミコちゃん』になるんですね(このときは『石坂浩二』名ではないかもしれませんが)。

ここから先は、以前、『園まり スッピン18歳』のとき調べたことを想い出しながら、書いているので(手元に資料がありません)詳しくはわかりませんが、『しゃぼん玉ミコちゃん』での役どころは『マリ(三枝子の親友)』のボーイフレンドだったんですって!
石坂さんは、『マリ』=園まりさんの彼氏役でデビューしているのです。
そのとき一度きりの、ゲスト出演でしたが、撮影現場でも礼儀正しい好青年だったそうです。
初々しい園まりさんと石坂さん、演技とはいえ、当時の視聴者の目には、さわやかなカップルに映ったでしょうね。

Photo


そして、デビュー間もない頃の園まりさんではありましたが、当時の大スターや、後に大物となる芸能人に取り囲まれていたようです。
華やかな世界の中心、芸能界の中心にいたわけですね。
多くの芸能人を抱える渡辺プロダクションの中にあっても、特に有望な新人と思われていたのでしょう。
そして、この頃、ナベプロの音楽を一手に任されていた宮川泰先生も、ピーナッツの次はまりちゃんだと、期待していた。

そして50年の歳月は流れ。
今、園まりワールドの隅っこで、「ファンの端くれになりたいな」と思っている私ですが、芸能界で一番期待できるのは、やっぱり園まりさんだと感じています。
いいですよ~、歌も笑顔も人柄も。
芸能界でこんな人、他にいません、これからの活躍がたのしみです。

ところで・・・あの~、『夕刊フジ』さんスミマセン。
上の「日劇楽屋にて」の写真、一昨年掲載されたばかりの写真を使うのは、ちょっと気が引けたのですが、しっかりと文字を入れておきましたので、お許しくださいませ。
ブログの内容を読んだら「あのときの人だな」って、判るでしょうね、きっと。
その節は、親切に対応していただきまして、ありがとうございました。

「まりちゃんの逸話」って、調べれば他にもたくさんあるだろうし、すぐには思い出せないものもある。
不思議なのは、昭和40年9月のファースト・リサイタルのことや、反戦歌の「♪花はどこへ行った」を日本で最初に唄い、スマッシュヒットさせた話などを、あまり見かけないことです。
ファースト・リサイタルなんて、当時、複数の雑誌に載っていたので、逸話じゃなくて、既知の事実なんですけどね~。

また何か、面白そうな話があったら取り上げますね。

・・・おしまい

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