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2012年11月

きよしあの夜

副題:誰でもあるんじゃないですか?

196312

もうすぐクリスマスですねぇ~。
毎年この時期になると、想い出すことがあるのですが...究極の私事なので、気の向いた方だけ読んで下さいね。

 

○きよしあの夜

30年近く前、私が家内とおつきあいしていた頃のお話しです。
当時私は、連日、サービス残業当たり前のハードな業務をしていて、彼女(←カミサンのこと)とデートもままならなかったのですが、クリスマス・イブだけは、何とかロマンチックにすごしたいと、頑張っておりました。

しかし、二日程前になると、案の定というか、残業の予定が入ってしまい、やむなく彼女に電話したのです。
「だいじょうぶよ、分かってるから、お仕事頑張ってね」そんな優しい言葉をもらい、安心して、イブの夜更けまで猛烈社員をしておりました。

しかし!

仕事の合間に、町の風景を眺めると、甘い雰囲気のカップルがそこかしこに見えるではありませんか。

心配になって、電話をしたら、すっかり落ち込んでました。
「ゴメン、明日は必ず迎えに行くから」そう言ってなぐさめたものです。
ホントは迎えに行ける見通しなんて、なかったのですけど(^_^;。

その日は深夜まで、かたづけられるだけ仕事をかたづけて、次の晩、カミサンの勤める花屋さんまで迎えに行きました。

そのとき、どういうわけか、お店の女の子たちが、“拍手”をしていたんですね。
車に乗って、二人だけになったとき、「あの拍手なに?」って聞いたのです。
そしたら彼女、なんて言ったと想います?

「昨日、彼が迎えにこなかったのは、わたしだけだったの、お店が忙しかったので、わたしだけ残業を引き受けたの、皆それを知っていたから」。

「惨めな想いをさせちゃった」、涙が出そうでした。
切なくて、愛おしくて、思い切り彼女を抱きしめたい気分だった。
その晩、私としては、精一杯ロマンチックな夜を演出したつもりです。
それでも、いまだに、あのときは申し訳ないことをしたと、思ってますけどね。

自分が、カミサンにこれだけの仕打ちをしておきながら、我が娘にはなんて言ってると想います?
「クリスマス・イブに迎えにこないような男を、選ぶんじゃないぞ」ってね(笑)。

そうなんです、私は身勝手で、煩悩まみれな男なんです(^^;ゞ。
でもね...煩悩まみれだって、一つだけ自信を持って言えることがあるのです。
園まりさんを、理想の女性像だとするならば、カミサンは私にとって『永遠の恋人』です。
将来、二人揃って、おじいちゃんとおばあちゃんになってもね^^。

 

○誰でもあるんじゃないですか?

最近、久しくお蔵入りになっていたDVDを、引っ張り出して観ました。
園まりさん主演「愛のきずな」。

藤田まことさんが演ずる、身勝手で、煩悩まみれの男『鈴木良平』と、かたや、園まりさん演ずる、清廉な娘『平井雪子』が、W不倫を繰り広げるのです(なんのこっちゃ?)。

実は私、この映画の感想を書きたくて、ウズウズしているのですが、他に類を見ない程、内容が深くて、今すぐというのは無理。
また機会があったらということで。

ところで、『良平』は、自分が妻子持ちであることをうち明けるシーンがあるんですね。
煩悩まみれのくせに、めっぽう真面目な顔で言うのです。
「僕はこの間 独身だって言いましたね」
「あれはウソなんだ」
「女房だけじゃない 子供もいるんだ」

Photo

それを聞いた、雪子の表情です。
これを観て、「どこかで見たことあるシーンだなぁ~」なんて想っちゃった。

上の「きよしあの夜」と大体同じ頃なのですが、当時私は、「この娘(カミサンですな)と結婚するかも?」といった予感が“確信”に変わりつつあった。
それで、自分の過去を黙ってちゃいけないと思い、うち明けたんです、ドライブの途中で。
「実は昔、真剣につきあっていた娘(こ)がいたんだ、でもきれいサッパリ別れて(ホントはフラれたんです)、今は君のことしか想っていない」。

そのときのカミサンが、ちょうどこんな表情だった。
そして彼女が言った言葉が、「わたしも最近まで、つきあっていた彼がいたの、でもあなたとつきあい始めたから、フッちゃった」。

えぇ゙~、それって一時的にせよ、二股かけられていたってことでは、ないの??。
ショーック!!

しかし、よく考えてみれば二人とも、恋愛の一つや二つ経験していてもおかしくない年齢で、薄々感づいていたのです、お互いに。
それでも、ハッキリ言われると、さすがに良い気分はしませんね。
カミサンも、きっと同じ気分だったんじゃないかな。

べつに、過去において、後ろめたいことをしていたワケじゃなし。
言わぬが花って事もあるのではないかと想います。
誰でも身に覚えがあるんじゃないですか?
こんなこと。

あ、そうそう、誤解されるといけないので、念のために言いますが、私たちはW不倫じゃありません。
正真正銘、独身同士の熱々カップルでしたので。

以上、自分でも顔から火が出そうな、おノロケ話でした(^┰^ゞ。

・・・おしまい

「♪マッシュ・ポテト・タイム」

Photo_2

昭和37年リリース

                                                            

                                                                   

前回、「園まり スッピン18歳」のお話を書いているときに、「♪マッシュ・ポテト・タイム」のジャケ写真が頭に浮かびましてね。

あの不思議なポーズは何なのだろう?

マッシュ・ポテトを踊っている姿には違いないのですが、そもそも「マッシュ・ポテト」ってどんな踊りか知らない。

ネット検索したら、ステップの運びとか、出てきたのですが、説明を読んでもチンプンカンプンでサッパリわからない。

こんなときは 「you tube」 ですね。

なるほど~、これがそうですか。
後ろの娘(こ)、「モンキーダンス」が入っているような気もしますが...
ゴーゴーやツイストに比べたらかなり難しそうですね。
踊りながら歌うとなると、もっと大変。

                                                    

園まりさん、「わたし、歌いながら踊るのが苦手で、踊りに気をとられたら、歌詞忘れちゃった、なんてことありましてね~」って言ってたのを思い出した。
それって、「♪マッシュ・ポテト・タイム」の時みたいな気がしてきましたねぇ。
この曲を歌って踊る「まりちゃんの姿」を憶えている人って、今でもいるのでしょうか?
映像は、残っていないだろうし、伝説の世界ですね。

・・・ところが、いるのです、世の中は広い。
「♪マッシュ・ポテト・タイム」を歌う「まりちゃんの姿」。
それを、バッチリ憶えている方が。
しかも、生のステージで、ご覧になっているのです。

Photo_3

インファントランド

それは、ザ・ピーナッツの巨大サイトを運営されている、インファントさんです。

Photo_4

第3回 ピーナッツ・ホリディ

(無断でリンクしちゃいました、インファントさんゴメンナサイ ^^;)

                                     

園まりさんは昭和37年6月の“ピーナッツ・ホリディ”でステージデビューだったのですが、このとき、観に行かれたそうなんですね

”第四景 マッシュ・ポテト紹介”の部分に説明が載っています。
<一生懸命歌うのがなんかいじらしくて>というのを読んで、「まりちゃんの一生懸命は、デビュー当時からだったんだなぁ」と想いました。
なんだか光景が目に浮かびますね。

20代の園まりさんは、しっとりとした雰囲気で、実年齢よりずっと大人っぽく感じましたが(私が、子供だったせいかも?)、デビュー当時は歳相応の、カラッと明るい「元気少女」だったのでしょうか?

現在(いま)のまりちゃんは、歌謡曲を歌えばしっとり、ポップスを歌えばパワフル、お話したら、茶目っ気たっぷりの、多重人格的な魅力がありますが、「♪マッシュ・ポテト・タイム」を唄ったら、どんな感じになるのでしょうか?

歌ってくれないかなぁ。
『ディー・ディー・シャープ』みたいに、踊りはバックダンサーに任せておけばいいからさ、...って勝手なこと言ってますね(^┰^ゞ。

                               

                                   

※『ディー・ディー・シャープ』

・・・おしまい

園まり スッピン18歳

副題:「ミコ」は、まりちゃんが気になった?

 

○サナギが蝶になるように

小学生のとき、‘仲のよかった’女の子がいましてね。
kちゃんといって、3年から6年まで同じクラスでした。
帰る方向が同じだと言うので、よく一緒に、下校したものです。
内気で目立たない子でしたが、彼女を「女の子」と意識したことは一度もなく、男同士の親友と同じ気持ちだった。

たまには家に遊びに来て、「リリアン」とか「おはじき」等を教えてもらったり。
大人しかった私は、悪ガキ仲間と遊んでいると、ちょっと疲れてしまうのですが、kちゃんと一緒にいると安心できるし、話が合うので退屈することもなかった。
ところが5年生になったある日、二人でいるところを、札付きの同級生に冷やかされましてね。
「うわ、彼女と歩いてやがんの!」

この日から一緒に帰るのをやめました。
「女の子と歩いてるのって変なのかな?」って、つまらないことを気にしたんです。
そして、学校でも出来るだけ避けるようになった。
そうしているうちに、いつしかkちゃんから話しかけてくることも無くなりました。

小学校の卒業写真に載っていた彼女の住所を見たとき、「家が同じ方向」ではないことを知りました。
(kちゃん、ごめんね)

中学生のとき、フォークダンスの練習で、一度だけ手をつないで踊ったことがありましてね。
不思議な気分だった。
ずいぶん小柄に見えましたよ、小学生のときは、私より背が高かったのに。

数年後、小学校時代の同窓会があって、そこに来てました。
最初、誰なのかわからなかった、見違えるような美人に「ヘンシン」していたから。
クラスの男子に囲まれていて、「モテナイ君」の私には、出る幕がありません。
「ずっと仲良くしておけばよかった」って、チラッと思いましたね。
横顔を眺めていたら、私に気がついて、話かけてくれました。
「あらー、T君(←私のこと)ずいぶん背が高くなったわねー、昔はこんなにチビだったのに」。
フォークダンスのことは、全然覚えてなかったようで、記憶にあったのは小学生時代の私だけみたい(ガックリ)。
kちゃんと会ったのは、この時が最後です。
今は幸せに暮らしているのかなぁ。

 

 

○園まり スッピン18歳

少女時代に目立たなかった娘(こ)が、見違えるように美しくなることって、あると想うのですが、園まりさんの場合、どうだったのでしょうか?

1

昭和37年8月ごろ

笑っちゃいますよね(^^。
お話をわかりやすくするために、わざとヘンな顔を選んだのです(まりちゃんゴメンね)。
園まりさんの名誉のために言いますが、小学生~高校時代の写真を見ると、なかなかの美少女なのです、本当は。

Photo

高校2年のとき 箱根で

しかし、芸能界に入ると、周りが派手なせいで、当初はあまり目立たない存在だったようです。

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「♪ガラスの花園」のジャケット

それがある時期から見違えるように美しくなった。
ジャケットを見ると「♪ガラスの花園」をリリースした昭和39年の夏には「ヘンシン」している。
ビジュアル系として人気があったのか、プロマイドもたくさん出ていて、このジャケ写真と同じのもあるんですね。

この頃には『日劇ウエスタンカーニバル』のステージで「♪何も云わないで」を歌っているのではないかと想像するのですが、それを売り出す準備としての、イメージチェンジだったようです。

『ウエスタンカーニバル』では、熱狂した少女たちから、ヤジを飛ばされたんですって。
「まり、ひっこめぇ!」って。
ボーイッシュな印象から、あまりの変貌ぶりに、ファンの女の子たち、「裏切られた」と思ったのでしょうか?
このお話、2005年に東京国際フォーラムで開かれた『今、甦るウエスタン・カーニバル スペシャル・コンサート2005』のステージでも「ネタ」に使っていたくらいですから、案外よく知られたことなのかもしれませんねぇ。

Photo

「♪夢は夜ひらく」ジャケ写真

そして、誰もが知っている「園まり」のイメージ。
昭和41年のお姿です。
この上なく可愛らしいのですが・・・よく見ると、意外とお化粧が薄いんですね。
これでも「つけまつげ」くらいは、しているのかしらん?

Photo_4

昭和41年 ファンクラブ会報

そして、バッチリメイクするとこんな感じ、上の写真と同時期のものです。
女性は、ちょっとしたお化粧とヘアスタイルでイメージが変わるものですねぇ。
庶民的で控えめな印象の娘(こ)が、こんな絶世の美女になるのですから。
でも、私の好みでいうと、この中では「♪夢は夜ひらく」が一番ですね~。
秋の夜長(もう冬ですね)、じっと見つめていると、瞳に吸い込まれそう・・・

素朴な少女が美人にヘンシンするのはよくある話ですが、美少女だってヘンシンするぞというお話でした。

 

 

○「ミコ」は、まりちゃんが気になった?

ちょっと、前置きが長くなりすぎましたが、ホントはこれを本題にしたかった。
でも内容に自信がないので・・・

ずいぶん前に、何かで読んだのですが、情報源を思い出せません。
そんな、いい加減な話です。


「ミコ」は十代半ばから冠番組を持っており、すでにトップスターだった。
その番組に‘脇役’として「園まり」が入ってきた。
「園まり」は、デビューしたばかりの新人で、そんなに目立つ存在ではない。
ところが、ミコは、まりちゃんを気にしていたようだ。
トップスターで主役の彼女が新人で脇役の「園まり」を気にしている。
天才の名をほしいままにしている、あの「弘田三枝子」がである。
雑誌に載った「園まり」の記事をじっと見ているミコであった。


ざっと、こんな内容だったと想うのです。

ところで、上の写真「園まりスッピン十八歳」は昭和37年夏に撮ったものなので、ちょうどこの時期なんですよね。
リリースしたレコードで言うと「♪マッシュ・ポテト・タイム」の頃です。

個人的には「トップスター、弘田三枝子」が気にしていたのは、園まりさんの‘美貌’だろうと勝手に決めつけていたのですが、当時はこの素朴さですから、「もしかしたら、違うのではないか?」と想い始めているのです、最近は。

「ミコ」は、何を気にしていたのでしょうか?
「園まり」が持つスター性ではなかったのでしょうか?
本能的に「"ライバル"に成長する」と感じたのではないか?
結果的に、園まりさんはムード歌謡で一世を風靡することになったので、直接のライバルにはなりませんでしたが、歌のジャンルやタイミングが微妙にずれていれば、二人が強力なライバル同士になっていた可能性は十分あるわけです。

ところでこれは、本当のことなんでしょうか?
「お前が言ってどうする」って思わないでね。
私自身、何かの勘違いか記憶違いだろうと思っていたのだから。
ネットで検索しても、出てこないのです、似たような話が。
代わりに「シャボン玉ミコちゃん」が出てきましてね。
内容を確認すると、「昭和37年4月からの番組」で弘田三枝子さんが主役、園まりさんが脇役(三枝子の親友)ということになっています。

私は当時、小学一年で、夜八時には寝かされていたので、観たことありません、この番組。
でも、話のつじつまとしては合うのではないかと想っています。
まりちゃんが「♪鍛冶屋のルンバ」~「♪マッシュ・ポテト・タイム」を歌っていた時期だとすればね。

実はこの文章、私にしたら、ずいぶん背伸びをして書いているのです。
オンタイムで知り得なかったことを、どこかで聞きかじった話を元に、半分推測で書いているので。
しかし、団塊世代から上の方が聞いたら「なんだ、知ってるよ」と思うかもしれませんねぇ~
そのときは、笑ってやってください。
「大人になりたがっているやつがいるぞ」って(^^;ゞ。

 

2013年2月25日追記

先日、上の【「ミコ」は、まりちゃんが気になった?】について、大変貴重な情報が寄せられました。

ちらのぺージに投稿された「2013年2月17日(日)」のコメントなのですが、それによると、小林信彦著『1960年代日記』にそのことが書かれているということです。
小林信彦氏は中原弓彦(なかはら ゆみひこ)の筆名でマエタケさん(前田武彦氏)と一緒に「シャボン玉ミコちゃん」の脚本を書かれていた小説家で、評論家・放送作家でもあったようです。

Photo

『小林信彦60年代日記』

著者の、20代後半から30代にかけての私的日記であるともいえる『小林信彦60年代日記』は当初、白夜書房から1985年09月に発売され、その後『1960年代日記 (ちくま文庫)』として1990年01月に再販されたということです。
現在はどちらも絶版なのでしょうか?

この『1960年代日記』の[1962年8月8日(水)]部分に、園まりさんについての記述があるらしいのですが、頂戴したコメントの中から、その部分を抜粋させていただきます。


9時半から、TBSのリハーサル。主役のミコは、すでに9時にきていて、お化粧している。
私が週刊誌に出ている園まりの写真を見せると、浮かぬ顔をする。(大天才なのに、脇役である園まりを気にするのがおかしい。)
台本の疑問の部分を、いちいち質問するのは、よし。

そこに園まりがきて、「ああ、肌がブツブツしちゃった」というので、私、タレントをやめて、早く結婚しちまえ、と言う。
「えーっ、やめるんですかぁ!」
園まりは、「マッシュ・ポテト・タイム」で売り出そうとしている子で、新曲のことのみ口にするようにしつけられている(?)のだが、私が紋切型の会話をしないので、本音を言うようになった。〈タレントにするには惜しい子〉である。
ミコのような怪物ではない。ミコは生れつきのスターである。 (注・よけいなことを言うものではない。数年後に、園まりが「夢は夜ひらく」を大ヒットさせたあと、私は顔を合わさないように逃げまわる羽目になった。


私も殆ど忘れていたので、【「ミコ」は、まりちゃんが気になった?】では、かなり文章が違ってしまいましたが、言われてみれば〈タレントにするには惜しい子〉という部分だけは、かすかに覚えがある。
何か印象に残ったのです、意味深げだなあと。
「芸能人にならなかったら、そちらのほうが惜しいじゃないか」とも想いますが、園まりさんの人柄を「個人的に知っている」人なら、本当の意味が解るかも知れませんねぇ。

・・・おしまい

『ザンビ』

副題:ザ・ピーナッツ発祥の地

Photo

○アメリカ公園
昭和30年代の中頃まで、我が家の近く(名古屋城の近くと言った方がわかりやすいかな?)には、通称『アメリカ公園』なるものがありましてね。
ウサギ小屋のような、庶民の家が建ち並ぶ町並みの中で、そこだけがおとぎ話の世界みたいに、綺麗だった。
西欧の学校みたいな雰囲気で、見たこともない遊具もたくさんあった。
普段は門が閉まっているのだけれど、休日になると解放される。
それをめあてに、近所の子はみんな遊びにいったものです。

そこにはときどき、青い眼の子がいましてね。
当時の私と同じ、5歳くらいの女の子と、もうちょっと年長のお兄さんです。
二人とも金髪で、透きとおるように色が白く(まあ、白人ですから)、女の子は、お人形さんみたいだった。

一緒に遊んだこともあったんです。
言葉は全然通じないのですが、不便は感じなかった。
子供の遊びって、万国共通なんでしょうか?

それで『アメリカ公園』の正体なんですが、これがいまだにわかりません。
「進駐軍の居残り組」の子女が通う学校だった様な気もするのですが。
そういったものも昭和40年頃には全て消えてしまった。

                                                                                  

○『ザンビ』
ところが、つい最近まで、想わぬ所に進駐軍の名残があったらしいのです。

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昔の『ザンビ』

写真のリンク先を見てもらえるとわかるのですが、このお店、戦後「進駐軍の将校さん」の社交場として創られ、その後、先代のオーナーさんが譲り受けて、レストラン兼ナイトクラブとして開業した模様です。
実は今年の夏、急に思い立って、『ザンビ』を探しに行ったことがあるのです。
「ザ・ピーナッツ発祥の地」をこの目で見ようと。

説明が後になってしまいましたが、このお店、ピーナッツのお二人が、ナベプロにスカウトされる前、「伊藤シスターズ」の名で唄っていた(もちろん、通っていた学校には、ないしょで ^^)ナイトクラブです。

もっとも、私はものごころつく前のことなので、当時のことを知りません。

ところが「中日新聞」で、エミちゃんの訃報記事を見たとき、ザンビが東区にあることを知った。
ネットで調べて出てきたのが写真のリンクだったのですが、実際に行ってみると、高層マンションになっていました。
数年前、代官町から栄(名古屋で一番の繁華街)セントラルパークの裏手に移動したようです。

「栄なら、家からも近いので、すぐ行ける・・・」
そう想って、見に行きましたよ、新しいザンビ。
中までは、見てきませんでしたけど。

Photo_3

『現在のザンビ』

その時に撮ったものです、先日デジカメの写真を整理していたら、出てきました。
これだけでは、お話としてちょっと寂しいので、新聞記事の抜粋も載せておきますね。


「ザ・ピーナッツ」は無名時代、名古屋市東区のレストラン兼ナイトクラブ「ザンビ」(当時)のステージで歌を磨き、デビューのチャンスをつかんだ。
経営者で十六年前に72歳でなくなった谷村一(はじめ)さんが、頑張りやだった二人を見初め、歌う場を提供した。
一さんから店を引き継いだ次男の和俊さん(54)は、小学生のころ、父と一緒にコンサートで名古屋市を訪れたザ・ピーナッツの楽屋を訪ねたという。
姉妹と一緒に撮った写真は、今も宝物だ。
二人がザンビのステージに立っていたころは覚えていないが、父からは「とにかく歌がうまかった。双子というおもしろさがあった」と聞かされていた。
「私も含め広い世代に愛されたアーティスト。寂しい思いがする」と話した。


この記事が、ローカルなものなのか、全国版なのかはわかりません。
でも名古屋では、受けるんです、こういう記事が。
なぜかって?
いまでも、ピーナッツのお二人を「誇り」に思っている人が多いから。
全国のピーナツファンから顰蹙を買いそうですね(^^;。
日本の代表的なアーティスト、そして「世界のピーナッツ」だって、わかってます、ちゃんと。
でも名古屋人にとっては、「誇り」なんです、やっぱり。

お二人が、シックスジョーズと宮川先生に出会い、ナベプロにスカウトされるきっかけになったと言われているナイトクラブ「フェルナンデス」が、「ザンビ」なのかどうかは判りません。
ただ、その出会いは、まったくの偶然ではなく、ザンビの先代オーナー『谷村一さん』がシックスジョーズのメンバーだったジミー竹内氏に連絡を入れたからのようです。
「有望な娘(こ)がいるから、名古屋を訪れたら、観に来て」って。

お二人の才能を見初めた、ザンビの初代オーナーさんと、それを観に来たナイトクラブのお客さんたち(つまり、最初のファンですな)がいたから、「伊藤シスターズは」歌を磨くことが出来た。
ザンビは「ザ・ピーナッツ発祥の地」なんです。

そんなことを考えながら、『ザンビ』の灯りをじっと見つめる。
お二人の唄う姿を心に浮かべ、観たつもり、逢えたつもりで、帰ってきました...

・・・おしまい

                                     

※現在『ザンビ』はナイトクラブではなく、フレンチレストランになっています。
  「栄セントラルパークの裏手」と書きましたが、地名は泉1丁目になるようです。

まりちゃんの薫り?

副題:ディオリッシモだよ ピーナッツ!

だいぶ前に、「ザ・ピーナッツのお二人はどんな香水を使っているのだろう?」と調べたことがありましてね。
これが何処を調べても、分からない。
ところが、一昨年くらいでしたか、動画サイトを観ていたら、こんなのありました。
一時期見失いましたが、最近また再アップされたようです。

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いしだあゆみさん、マエタケさんの話しを否定してませんよね。
いしださんと、ザ・ピーナッツは同じフレグランスだそうで。
それで、調べてみたら、クリスチャンディオールの『ディオリッシモ』という香水なんですって。

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ダイアナ妃も愛用したと云う、鈴蘭の香りがする『ディオリッシモ』、なかなかいいなと思い、ちょうどカミサンの誕生日が近い時だったので聞いてみたんです。
「スズランの香りってどう思う?」って。
多少イタズラ心もあって、カミサンにプレゼントし、ピーナッツと同じ、フローラルの香りにしようと、企てたんですな。

「わたし、鈴蘭アレルギーなの」って言われました。
家内は独身時代、お花屋さんで働いてまして、毎日生花に囲まれて仕事をしている内に「花アレルギー」になった。
一種の職業病です。
全ての種類じゃないのですが、スズランは、くしゃみと鼻水が止まらなくなるんだそうな。
それで、この計画は見事頓挫しました、一生懸命調べたのに(トホホ)。

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ところで、前回「まりちゃん、良い薫りがしそう」と書いたところで、ある考えに至りましてね。
ことによると、園まりさんが使っていたのも『ディオリッシモ』ではないか?
ピーナッツに憧れ、立ち振る舞いから、お化粧まで真似していたのだから。

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キネマ写真館で『若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん』の画像を見ると、ピーナッツのお二人と園まりさんは、殆ど同じメイクをしていて、確かに雰囲気もよく似ている。

だったら、香水も同じものを使っていることは、十分あり得るでしょ?

まあ、今のところ100%推測だけで言ってるわけですが、コンサートなどの握手会で、長蛇の列に並ぶほどの熱烈な園まりファンならば、本当のことを知っている方が、けっこういるのではないかと想います。
「園まりさんと握手をしたら、良い香りがした」と言ってる人もいたから。

もし、もしですよ、いつの日か私も、長蛇の列に並べるようなチャンスに恵まれたら、確かめてこよっと、『まりちゃんの薫り』を。
まりちゃ~ん、「鼻を広げて深呼吸しているヘンなオジサン」がいたら、私ですから、「キモイ」って思わないでね(^^;。

・・・おしまい

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