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聖母再び

副題:園まりさんに○×△□されたい(^^;ゞ

幼い頃、テレビで歌う園まりさんの姿を見て、声を聴いて「優しくて、まじめな人なんだ」と直感的に感じたというお話は、前にも書いたと想います。
それから何十年も経った今、特に最近、同じ感覚を覚えることがあるので、今回は、そのお話を書きますね。

中学生のときです、思春期にさしかかり、テレビに映る園まりさんの姿に、異性を感じて戸惑っていた時期がありました。
その数年後、FMラジオを聴いていたら、「♪ひとりにしないで」が流れていましてね。
「FMバラエティ」の「ちょっと前の歌謡曲」とか言ってたような気もしますが、愛知県だけの放送だったのでしょうか?。
それを聴いて、懐かしさと同時に「もうちょっと早く生まれていたら良かった、そしたら、まりさんの全盛期を大人の感覚で見られたのに」「あんなに、戸惑うこともなかったのに」と、複雑な気持ちでした。

でも今にしてみると、「それもありだったかな?」と想います。
園まりさんが全盛期、日本中の成人男性が、その「美貌」にノックアウトされる中、私には「女性的な魅力」なんて、何も理解できなかった。
幼すぎましたからね。
おかげでもっと本質的な部分、「優しさと誠実さ」を最大限感じることが出来た。

もっとも、同じことを、大人たちは、女らしさとか、清楚な印象として感じていた可能性はありますが。

Photo_2

小学5年か6年の頃、我が家から歩いて15分くらいのところに、教会がありましてね。
カトリックかプロテスタントなのかは判りません。
私はキリスト教徒じゃないので。
広い敷地の中には芝生が敷き詰められて、いつも遊んでいる小公園より、ずっと気持ちが良かった。
仲間といっしょに無断で中に入って、遊んでいた時でした。
牧師さんに声を掛けられたのです。
「これは叱られる!!」と想い、皆で固まった。
でも違った、「みんな、もう遅いから帰りなさい」。
優しい声でした。
それでもやっぱり、うしろめたくて、全員肩をおとして帰ろうとした時、「また遊びにおいで」。
後ろから牧師さん、いや牧師様の声がしました。
後ろめたい気持ちが、ほのぼのとしたものに変わった。

それから、何度かこの教会に遊びに行きました。
あるとき教会の窓から中を覗いたら、聖母マリアの像が見えました。
少し薄暗い中に、ほんのりと浮かび上がるその像は、幻想的で美しかった。
胸の前で、そっと両手を合わせる姿が、園まりさんの印象と重なりました。
いまでも、まりさんを見ると、この時のマリア像と、優しい牧師様の顔が浮かぶことがあります。
私は、キリスト教徒ではありませんけど。

そして時は巡り。
中高年になった今は、園まりさんの姿に「女性的な魅力を感じるな!」と言っても無理な話ですが、それなりに人生経験を積んだ(つもりだ)し、分別もある(つもりな)ので、少しは物事を客観的に考える事ができる(つもりだ)。

ところで最近、まりさんの優しい心根を知る機会が、いくつかありました。

○歌謡コンサートのこと

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6月末頃『歌謡コンサート』で、藤あや子さんが、ご自身の作詞された「♪わすれない」を、そして、ふるさと東北のお話をされたときです。

曲の紹介がされ・・・
「震災以来、東北はたくさんのものを失いましたけれども、心の中にある、美しいふるさとの景色、そして、出会った人たちの笑顔を決して忘れないと云う思いと、勇気をもって歩いていったら、いつかはきっと笑顔になると、そんな想いを込めて今日は歌わせていただきます。」

美しかった東北、笑顔がいっぱいあった東北が、「戻りますように」との願いを、切々と語ります。

そして、園まりさんは、このお話を、うなづきながら聴いていたのですが、曲が紹介された頃から、瞬きが急に多くなった。
もしかしたら、目がしらを、熱くされていたのでしょうか?
深く息をしたり、おどけて首をかしげてみても、私の目はごまかされません。

そして、藤あや子さんが唄おうと、歩き出したとき、園まりさんは、眼ざしでエールを送ります。
あや子さんも、それに気がつき会釈、まりさんは、最後まで後ろ姿を見送りました。

会場の、誰一人として気づかなかったとしても、私にはわかります。
園まりさんは、わけあって、東北のことを、藤あや子さんの心を、ご自身のこととして感じています。

○石巻のこと

Photo_6

クリックすると、大きなパンフレットになります

上で、「わけあって」と書いたのは、このことです。
パンフレットは今年1月、宮城県石巻市でボランティアコンサートや鎌田實氏との対談などが行われたときのものです。

数年前、『田舎に泊まろう』と云う番組で、園まりさんを泊めてくれたおばあちゃんのお宅が、石巻にありました。
ところが、去年の震災で、自宅は廃墟となり、海の中に。
田畑も津波に流され、跡形もなくなってしまいます。
まりさんは不吉な予感がしたらしいのですが、連絡が取れません。
そんなとき、お孫さんからメールをもらい、おばあちゃんの所在が判明、難を逃れて、お孫さんの家に身を寄せられていたそうです。
まりさんは、スケジュールを調整し、駆けつけます、去年の夏でした。

再会を喜ぶ、おばあちゃんとご家族でしたが、園まりさんは、被災地の惨状をまのあたりにして、胸をえぐられるような想いをしたようです。
どうも、このときからずっと、被災地の人たちを元気づけたい、何かをしたいと想っていたらしいのですが(私の想像です)、具体的な方法となると、すぐには見つかりません。
歌手として出来ること、それはボランティアコンサートなのですが、それにはプロのスタッフの手が必要になるし、会場の手配なども、そういった立場の者でなければ出来ません。
資金面のことなど考えると、スポンサーも必要ですからね。

しかし、あきらめず、求めつづければ、道は開かれるのです。
去年末、月刊がんサポートの取材で、医師の鎌田實さんと対談しました。
乳がんを克服した有名人として、白羽の矢が立ったわけです。
鎌田先生は、まりさんの人柄が気に入り、話題は広がります。
このとき、園まりさんは、知ってか知らずか、気になっていた石巻のことを話しました。
鎌田さんは、石巻で積極的にボランティア活動をする、リーダー的存在だったのです。
話はその場で決まりました。

こんな、運命的出会いって、あるんですね~
「鬼に金棒」「園まりに鎌田實」です。
今年1月26日の午後、園まりさんは石巻の仮設住宅にいました。
震災前と後の写真を見くらべて、涙を浮かべていたそうです。
そしてその夜、まりさんの願いは叶い、石巻市のビッグバンホールで唄いました。

石巻の方々との交流は、その後も続いているようです。
まりさんが、東北の方とふれあう写真を見て、話をきいて、私の中では「被災地の方たち」が「知らない人」ではなくなりました。
このように、「被災地に皆の目が向く」のは大切なことだと思うのですが、園まりさんは、そんなことまで考えて、行動しているわけではないでしょう。

ただ、おばあちゃんが心配だから行く。
被害に遭われた方を元気づけたいから行く。
僅かな時間でも、皆が心安らぐひとときを、作ってあげたくて、行く。
そこに理屈なんて、ありません。
心の命ずるままに行動します。
歌は天命だと信じて。

まりさんの姿を見ると、目の前のクッションを抱きしめて、つぶやきたくなる。
園まりさま...

・・・コホン(`Д´)
まだまだ書きたいことは、山ほどあるのですが、文章が長くなりすぎますので、のこりは、次の機会にしますね。

歌手としてばかりでなく、人間としてBigになった園まりさんを見ていると、なんだか甘えたくなっちゃう。
8歳の幼子に戻って、頭ナデナデされたいな~(^^ゞ。

・・・つづく

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