最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月

夏の日の想い出

副題:女性には不愉快な話かも知れないので、そのときはパスしてください

あれは昭和46年、私が15の夏の日でした。
私はのどかな田園風景を縁側で眺めてた。
その年の6月、父が急逝し、のこされた私たち家族は、1ヶ月ほど田舎の親戚の家に身を寄せていたときです。

カンカン照りの日差しではあったけれど、田園からの風は気持ちよく頬をなでます。
でも私の心は晴れません、2ヶ月前に父を亡くし、不安と悲しみに暮れていました。

そんなとき、従兄弟が「これ見ていいよ」と山積みになった古本を指さしました。
昭和40年代始め頃の週刊誌です。

団塊世代の従兄弟にとって、青春のメモリーともいえるその雑誌は、折り傷一つ無く、5年も前のものとは想えないくらい綺麗だった。
きっと大切なものだったんだと想います。
落ち込んでいる私を、元気づけてやろうと思ったのでしょうか?

ページを開くと、そこにはきらめくスターの写真が...

ブレイク前の、いしだあゆみさんとか、西郷輝彦とかザ・ピーナッツも。
そして、一番多かったのが、園まりさん。

でも当時、園まりさんが、苦手だった。
女性に見えるんです、神聖な存在だったはずなのに。

眼差しだけでも、色っぽく見えるし、声を聴けば、切なく聞こえ、その姿は心に突き刺さるほど美しかった。

それで、雑誌をめくると、ミズギ姿が。
見たいという欲求と、そんな自分を嫌悪する複雑な感情が入り交じって、めまいがしました。

でもその中に、とびきりお気に入りの写真を見つけた。
いかにも真面目そうな、濃いグレーか紺の地味な
ミズギに、さわやかな笑顔。
プールの縁に立ってバランスをとっているような可愛らしいポーズ。
プールの方に、上半身が大きく傾いていたような?
ちょっと口で説明するのは難しいのですが、その後、天知真理さんや石川ひとみさん等、清純派アイドルと呼ばれた人たちの定番になったポーズです。

そこに写っていたのは、小学生のとき見た、園まりさんでした。
ひたすらさわやかで、可愛らしい園まりさんでした。

私はこの写真が欲しくてたまらなかった。
でも頼めなかった。
きっと大切な本だから。

それから、40年も経って、記憶も薄れ、あれは幻だったのかな~と想っていたとき、この写真のことに触れる書き込みを見ました。
公式サイトのBBSで。
《プールサイドで撮った、おっそろしくガードが堅いワンピースの
ミズギのフォト。髪型は素敵なロング》

この言葉に食いつきました。
あの写真しかない。

《おっそろしくガードが堅いワンピース》この表現、女性には解らないでしょうね~
《男性の視線をよせつけないほど露出が少なく、見るからに真面目そうな》って意味なんですけど。

それで、ものすごく嬉しかった。
私以外にあの写真の存在を知っている人がいる!
最も可憐でさわやかな園まりさんを知っている人がいる!

「その写真私も見たことあります、とても素敵でした」それだけで終わりにしておけば良かった...

やっちまいました。

「まりちゃんのミズギ」この言葉に血迷ってしまいましてね。
決して本能の赴くまま言葉を並べ立てたわけではありません(いや、ちょっとは書いたかな?)。
でも女性の勘は鋭い、わかるみたいです、直感で。
顰蹙買いましたね。
エスカレートするところを止めてもらって目が覚めましたが、私は自分自身で大切な想い出に傷を付けてしまいました。

申し訳ないのは、最初にこの写真のことに触れる書き込みをされた方にです。
女性の感性を無視したのはいけなかったかと想いますが、彼は私と違って、非常に真面目な気持ちでこの写真のことを語っていました。
同じ男性として、私にはわかります。
そこにあるのは、憧れの気持ちと、懐かしさだけです。
私の従兄弟と同じで、大切な青春のメモリーだったんです。
ごめんなさい。

そしてもう一人、私と同じ気持ちで、いっしょにはしゃいだ方がいます。
今、彼は、猛烈に反省して、自己嫌悪に陥っているような気がします
私以上に...
元気になってくれると良いなぁ。

 

2012年7月30日追記:

先ほどオフィシャルサイトのBBSを覗いてきました。
自分が書き込んだ内容を、読み返してみようと。

・・・最低です。

このBBSは、園まりさんのお膝元で、書き込んだことは、御本人の耳に入ります。
そんな場所で、
ミズギ写真の話題で盛り上がるなんて。
とんでもないことを、してしまいました。
耳に入れば、きっと悲しまれるでしょう。

いま、「♪ふるさとの唄」を聴いています。
まりさんの唄声は、誠実で美しい心が溢れています。
美しい心で毎日がんばっています。
それなのに...それなのに...

「私はBBSに参加できなくなってもかまいません、まりさんが悲しい想いをされないように、お取り計らい下さい、管理人様、お願いです。」
そう言いたいのだけれど、今更そんな虫のいいこと、書き込めないし。

私に出来ることと言ったら、この場で、陳謝することだけです。

本当に申し訳ないことをしました。

オスプレイ

副題:どこにでも着陸できる

Photo

とうとうオスプレイが岩国基地に搬入されたが、政府やマスコミは、なぜ、その使用目的を追求しないのでしょうか?

輸送機と言っているが、もっとハッキリ言えば兵員輸送機で、超低空飛行によりレーダー網をかいくぐり、海兵隊や特殊部隊を、滑走路の使えない敵国の奥地まで送り込み、『地上戦』を行うためのもので、『侵略兵器』であるのは明らかだ。

アメリカは、ベトナムやイラクで懲りることなく、若い兵士を送り込み、また未亡人や、父を知らない子供たちを作り出そうとしているのだろうか?
我が子を亡くし嘆き悲しむ、年老いた親たちを作り出そうとするのだろうか?
オスプレイが安全だって?
海兵隊が主張するのは、通常の軍用ヘリより狙撃される危険が少ないと考えて、そういってるだけだ。
それだって、垂直離着陸やホバリングの時は、大型ヘリと同じくらい、撃墜されやすい。

そして私が何より恐れるのは、オスプレイが、『陸上自衛隊駐屯地』に着陸する日が来るのではないかと云うことだ。
滑走路を必要としないから、そして、米軍は必要に応じて、駐屯地を使用することが出来るはずだから。

敵地侵入の目的を果たすためには、離着陸前後の超低空水平飛行は必要だ。
米軍は、日本の複雑な地形を利用して、その訓練を行いたいのではないか?
訓練だけではなく、通常の飛行でも、離着陸前後は見るからに不安定だ。
素人の考えだが、離着陸場所から、30km圏内は安全と言えないと想う。
時速300kmで飛行すると、6分の距離だ。
ローターの角度を切り替えて完全に安定するのに、そのくらいは必要だろう。
貴方の自宅からそのくらいの距離に駐屯地はありませんか?

駐屯地の中でも、特に気になるのが『朝霞駐屯地』。
この付近は、もと『
キャンプ・ドレイク』といい、ベトナム戦争の時、米軍の拠点になった場所だ。
現在の米軍にとっても、使い勝手は良いだろう。
ここにオスプレイを持ち込ませちゃいけない、絶対。
『キャンプ・ドレイク』の再開になる。

今後、老朽化した、米軍の大型軍用ヘリは、順次オスプレイに更新されていくだろう。
いつの日か、今、米軍のヘリを見掛けるのと同じ確立で、オスプレイを見上げるときがやってくるに違いない。

戦争好きの大国に対して、イエスマンになっちゃいけない、主体性のある国にならなければ。

                                                                        

2012年8月14日追記:

何年か前、ルイジアナ州を中心に巨大なハリケーンが襲い、大きな被害を出したことがあった。
このとき、政府の対応が遅れた事に対して不満が出たが、大統領の現地視察など、行動がより迅速であったなら、また結果は違っていたであろう。

もし、そんなとき、オスプレイが使えたら、どうだろうか?
休暇中のテキサスの牧場から、迅速に帰ることが出来たであろうし、直接ニューオーリンズを訪れることも出来ただろう。
それは、もののたとえだが、今後、オスプレイを「大統領自身」の〝足〟として使えたら、ホワイトハウスにとって、危機管理の大きな力になるのではないだろうか?
大統領専用ヘリの代わりに採用したら、行動力は飛躍的にアップするに違いない。

今後、大統領随行のスタッフらの移動に、オスプレイを活用することが決定しているらしいが、大統領自身は利用するのだろうか?
安全であるなら、VIPカーの如く、日常的に使えば良い。
狙撃の危険性を考えたら、銃弾の届かない上空の方が安全だ。
警備も楽になると想う、離着陸場所だけで良いのだから。
最も狙われやすい「乗り換え」の回数も減るしね。
それとも、乗用車ほどの安全性すら、確保できていないのだろうか?
常識では、航空機の方が安全なはずだが。

日本政府も「安全が確認されたら、国内での飛行を認める」と言ったが、大統領が「足」として活用するのを見届けてからでもいいのではないか?

大統領候補のオバマ上院議員(当時)がイラク電撃訪問の際に搭乗したらしいが、あの状況では、トラブルによる墜落より、撃墜される危険の方が大きいだろう。
巡航中に撃墜される可能性がある場合、確かにヘリコプターよりは安全だと思う。

しかし、日常の安全性を主張するためには、日常的に乗らなければならない。
もし、アメリカ大統領自身が乗らなかったら、オスプレイを、「安全」だと言っても「誰が信じるそんなもん!!」なのです。

・・・おしまい

聖母再び

副題:園まりさんに○×△□されたい(^^;ゞ

幼い頃、テレビで歌う園まりさんの姿を見て、声を聴いて「優しくて、まじめな人なんだ」と直感的に感じたというお話は、前にも書いたと想います。
それから何十年も経った今、特に最近、同じ感覚を覚えることがあるので、今回は、そのお話を書きますね。

中学生のときです、思春期にさしかかり、テレビに映る園まりさんの姿に、異性を感じて戸惑っていた時期がありました。
その数年後、FMラジオを聴いていたら、「♪ひとりにしないで」が流れていましてね。
「FMバラエティ」の「ちょっと前の歌謡曲」とか言ってたような気もしますが、愛知県だけの放送だったのでしょうか?。
それを聴いて、懐かしさと同時に「もうちょっと早く生まれていたら良かった、そしたら、まりさんの全盛期を大人の感覚で見られたのに」「あんなに、戸惑うこともなかったのに」と、複雑な気持ちでした。

でも今にしてみると、「それもありだったかな?」と想います。
園まりさんが全盛期、日本中の成人男性が、その「美貌」にノックアウトされる中、私には「女性的な魅力」なんて、何も理解できなかった。
幼すぎましたからね。
おかげでもっと本質的な部分、「優しさと誠実さ」を最大限感じることが出来た。

もっとも、同じことを、大人たちは、女らしさとか、清楚な印象として感じていた可能性はありますが。

Photo_2

小学5年か6年の頃、我が家から歩いて15分くらいのところに、教会がありましてね。
カトリックかプロテスタントなのかは判りません。
私はキリスト教徒じゃないので。
広い敷地の中には芝生が敷き詰められて、いつも遊んでいる小公園より、ずっと気持ちが良かった。
仲間といっしょに無断で中に入って、遊んでいた時でした。
牧師さんに声を掛けられたのです。
「これは叱られる!!」と想い、皆で固まった。
でも違った、「みんな、もう遅いから帰りなさい」。
優しい声でした。
それでもやっぱり、うしろめたくて、全員肩をおとして帰ろうとした時、「また遊びにおいで」。
後ろから牧師さん、いや牧師様の声がしました。
後ろめたい気持ちが、ほのぼのとしたものに変わった。

それから、何度かこの教会に遊びに行きました。
あるとき教会の窓から中を覗いたら、聖母マリアの像が見えました。
少し薄暗い中に、ほんのりと浮かび上がるその像は、幻想的で美しかった。
胸の前で、そっと両手を合わせる姿が、園まりさんの印象と重なりました。
いまでも、まりさんを見ると、この時のマリア像と、優しい牧師様の顔が浮かぶことがあります。
私は、キリスト教徒ではありませんけど。

そして時は巡り。
中高年になった今は、園まりさんの姿に「女性的な魅力を感じるな!」と言っても無理な話ですが、それなりに人生経験を積んだ(つもりだ)し、分別もある(つもりな)ので、少しは物事を客観的に考える事ができる(つもりだ)。

ところで最近、まりさんの優しい心根を知る機会が、いくつかありました。

○歌謡コンサートのこと

Photo_3

Photo_4

Photo_5

6月末頃『歌謡コンサート』で、藤あや子さんが、ご自身の作詞された「♪わすれない」を、そして、ふるさと東北のお話をされたときです。

曲の紹介がされ・・・
「震災以来、東北はたくさんのものを失いましたけれども、心の中にある、美しいふるさとの景色、そして、出会った人たちの笑顔を決して忘れないと云う思いと、勇気をもって歩いていったら、いつかはきっと笑顔になると、そんな想いを込めて今日は歌わせていただきます。」

美しかった東北、笑顔がいっぱいあった東北が、「戻りますように」との願いを、切々と語ります。

そして、園まりさんは、このお話を、うなづきながら聴いていたのですが、曲が紹介された頃から、瞬きが急に多くなった。
もしかしたら、目がしらを、熱くされていたのでしょうか?
深く息をしたり、おどけて首をかしげてみても、私の目はごまかされません。

そして、藤あや子さんが唄おうと、歩き出したとき、園まりさんは、眼ざしでエールを送ります。
あや子さんも、それに気がつき会釈、まりさんは、最後まで後ろ姿を見送りました。

会場の、誰一人として気づかなかったとしても、私にはわかります。
園まりさんは、わけあって、東北のことを、藤あや子さんの心を、ご自身のこととして感じています。

○石巻のこと

Photo_6

クリックすると、大きなパンフレットになります

上で、「わけあって」と書いたのは、このことです。
パンフレットは今年1月、宮城県石巻市でボランティアコンサートや鎌田實氏との対談などが行われたときのものです。

数年前、『田舎に泊まろう』と云う番組で、園まりさんを泊めてくれたおばあちゃんのお宅が、石巻にありました。
ところが、去年の震災で、自宅は廃墟となり、海の中に。
田畑も津波に流され、跡形もなくなってしまいます。
まりさんは不吉な予感がしたらしいのですが、連絡が取れません。
そんなとき、お孫さんからメールをもらい、おばあちゃんの所在が判明、難を逃れて、お孫さんの家に身を寄せられていたそうです。
まりさんは、スケジュールを調整し、駆けつけます、去年の夏でした。

再会を喜ぶ、おばあちゃんとご家族でしたが、園まりさんは、被災地の惨状をまのあたりにして、胸をえぐられるような想いをしたようです。
どうも、このときからずっと、被災地の人たちを元気づけたい、何かをしたいと想っていたらしいのですが(私の想像です)、具体的な方法となると、すぐには見つかりません。
歌手として出来ること、それはボランティアコンサートなのですが、それにはプロのスタッフの手が必要になるし、会場の手配なども、そういった立場の者でなければ出来ません。
資金面のことなど考えると、スポンサーも必要ですからね。

しかし、あきらめず、求めつづければ、道は開かれるのです。
去年末、月刊がんサポートの取材で、医師の鎌田實さんと対談しました。
乳がんを克服した有名人として、白羽の矢が立ったわけです。
鎌田先生は、まりさんの人柄が気に入り、話題は広がります。
このとき、園まりさんは、知ってか知らずか、気になっていた石巻のことを話しました。
鎌田さんは、石巻で積極的にボランティア活動をする、リーダー的存在だったのです。
話はその場で決まりました。

こんな、運命的出会いって、あるんですね~
「鬼に金棒」「園まりに鎌田實」です。
今年1月26日の午後、園まりさんは石巻の仮設住宅にいました。
震災前と後の写真を見くらべて、涙を浮かべていたそうです。
そしてその夜、まりさんの願いは叶い、石巻市のビッグバンホールで唄いました。

石巻の方々との交流は、その後も続いているようです。
まりさんが、東北の方とふれあう写真を見て、話をきいて、私の中では「被災地の方たち」が「知らない人」ではなくなりました。
このように、「被災地に皆の目が向く」のは大切なことだと思うのですが、園まりさんは、そんなことまで考えて、行動しているわけではないでしょう。

ただ、おばあちゃんが心配だから行く。
被害に遭われた方を元気づけたいから行く。
僅かな時間でも、皆が心安らぐひとときを、作ってあげたくて、行く。
そこに理屈なんて、ありません。
心の命ずるままに行動します。
歌は天命だと信じて。

まりさんの姿を見ると、目の前のクッションを抱きしめて、つぶやきたくなる。
園まりさま...

・・・コホン(`Д´)
まだまだ書きたいことは、山ほどあるのですが、文章が長くなりすぎますので、のこりは、次の機会にしますね。

歌手としてばかりでなく、人間としてBigになった園まりさんを見ていると、なんだか甘えたくなっちゃう。
8歳の幼子に戻って、頭ナデナデされたいな~(^^ゞ。

・・・つづく

どこにあるの? 愛の城

副題:別れがそっと うしろから しのんで来る 気がしてた

暑いですねー。
梅雨があけたのは良いけれど、私が住む名古屋でも、35度超えの日が続いています。
もう、足もとフラフラ、熱に浮かされ、よろめいちゃう...ちがった^^、よろけちゃう。

Photo_2

ところで、最近、ハマっていることがあります。
CDを聴くときに、歌詞をしっかり聴くこと。

先月末、ザ・ピーナッツの一人、エミさんの訃報を知ったその日、一晩中CDを聴きましてね。
普段と違う精神状態で聴いていたせいなのか、真夜中たった一人で聴いているという状況のせいか、「いつも楽しくピーナッツ」の筈が、この日は情感たっぷりに感じました。
「♪心の窓にともし灯を」とか「♪愛のフィナーレ」なんて、お二人が、何かに身を詰まされる想いで唄っているように感じて、聴いてるこちらも、そんな気分になった。

たて琴ではじまる、感傷的なメロディ。
「今ではひたすら 貴方の幸せ祈るだけ♪」。
あまりにも切なそうな、お二人の声。
闇がりの中ただ一人、震えながら、耐えました。
いっそ、泣けばよかった...
どうせ誰も見てないのだし。
人は悲しいときにも、人の幸せを願うものです。

お二人は、ただ楽譜のとおりに唄っている訳ではなく、それぞれの人生があって、詞があり、それを想いながら、その上に唄声がのっているのだと、初めて感じることができました。
この時以来、歌詞にハマっています。
そして唄声には、詞にふさわしいだけの気持ちが込められていることが、あると云うことを。
中には、自らの経験や人生にのせて唄っていると感じるような、『重い作品』もあることを。
これは私が〝気持ち〟で感じただけで、何かを知っているわけではありません。
それでも何かが、わかるような気がします。

ところで、そんな気持ちで、園まりさんの歌を聴いたら、どうなんでしょうか?

片っ端から聴いてみました。
それで、見つけましたよ、ある曲を。
じゃあ、そのお話をしますね。

でも、そのまえに、「実らなかった恋のお話」を一つだけ。


昔々あるところに、T君とEちゃんという、一組のカップルがおりましたとさ。
T君は山へ芝刈りに...ちがった^^ T君はいわゆる『もてない君』で、彼女いない歴2?年、これが初めての恋でした。
一方、Eちゃんはモテモテ美人でボーイフレンドは多いのですが、うら若く、未だ恋愛経験と呼べるようなものはありませんでした。
おつきあいが始まってから分かったのですが、二人には共通点が多く、誕生日や血液型も同じ、母子家庭に育ったところまで同じでした。
単なる偶然とは思えず(ホントは思いたくなくて)『運命の出会い』を感じたものです。

キスもしない、手をつなぐときでさえ、小指と小指を絡ませる、プラトニックな恋ではありましたが、デートを重ねるうち、二人の心はどんどん近づき、いつしか将来を語りあう仲となりました。
訳あって、いつまで経っても、プロポーズしないT君でしたが、あるとき、いつの日か出会うであろう『愛の結晶』の名前を考えている自分たちに気がつき、プロポーズを決意します。
彼の気持ちは彼女に受け入れられ、T君は、嬉しそうに目を伏せるEちゃんを抱きしめ、この日初めて「キス」をしました。

Eちゃんは、家に帰ってお母様に、プロポーズされたことを報告しました。
お母様は一晩考えて言われたそうです。
「おまえがあの人を愛しているのなら、お嫁に行って良いんだよ」
Eちゃんは、この言葉に動揺します。
母の老後は、自分がみるものと想っていましたから。
母一人、娘(こ)一人・・・だから。
そしてEちゃんの実家は、お父さまの遺した小さな会社を経営しており、彼女はお婿さんをもらって、その会社を継ぐ立場だったのです。

他にもまずいことがありました。
T君には、弟が一人おりました。
ところがその弟は、社長令嬢との結婚が決まっていて「マスオさん」になる予定だったのです。
当然T君も、母の老後は、自分がみるものと想っていた...

プロポーズしたことで、夢みるような恋物語は、現実の壁に直面します。
実は彼が恐れていたのは、これだった。
幸せの絶頂に近づけば近づくほど、別れがそっと後ろから、しのんで来るような、気がしていたのです。

それでもT君は、何とかこの恋を実らせようと、東奔西走しますが解決策が見つかりません。
「どこにあるのだろう? 愛の城...」ふとそんなことを考えたときです。
「ねぇ、こっちを向いて」
瞳をのぞき込むように、彼女が言いました。
「信じていいよね・・・」

あとはご想像にお任せします。
ただ一つ、T君は「プラトニックな恋で良かった...」と思いましたとさ。


・・・このお話は実話なのかって?
さぁ~、どうでしょうかね(^_^;。

言いたいことは、実る直前に壊れてしまう恋もあれば、つかまえたと思った瞬間に、逃げてしまう愛もあるってこと。

・・・本題に戻りますが、アンサーソングって聞いたことあるでしょ?
有名なところでは、坂本九さんの「♪明日があるさ」に対して槇みちるさんの「♪若いってすばらしい」。

わかりやすいところでは、園まりさんの「♪あれがお父さまよ」と、「♪涙のスクリーン」。
「♪涙のスクリーン」なんて、歌いだしが「-あれがおとうさまね-♪」だから、誰でもわかる。

あと、よく知られたところでは、ザ・ピーナッツの「♪ふりむかないで」に対する「♪こっちを向いて」、これもわかりやすい。

これらは、歌手、作詞家、作曲家が同一の場合もあればバラバラのこともあり、様々です。
アンサーソングは普通、作者がそれと宣言するのですが、その様なことは一切無くても聴く側がそう判断してアンサーソングと言われる曲も多いようです。
先ほどの「♪涙のスクリーン」なんて宣言されていなくても、明らかにアンサーソングですもんね(^^。

Photo

Photo_2

で、ここに相互にアンサーソングではないかと想われる曲が二つ(私が勝手に想うのです)。
平尾昌晃さんが作曲した「♪愛の園」と園まりさんが歌う「♪横をむかないで」。

「♪愛の園」は以前このブログで取り上げていますが、あのお話は、あくまでもフィクションなので、誤解の無いよう、お願いします。

「♪横をむかないで」は「♪あなたのとりこ」のB面なのですが、この頃の園まりさんにしては比較的声を張って、きらびやかな唄い方が、なかなか魅力的。

そして「♪愛の園」なのですが、布施明さんが唄った一年あまり後に、園まりさんもカバーしています。

布施明さんは「♪愛の園」で希望とその裏返しになる不安を唄い、園まりさんの「♪横をむかないで」は心細く揺れ動く女心を表現します。
そして後に、まりさんは同じ曲「♪愛の園」で傷心の男心・女心を切なく唄います。

それは、大幅にキーを変えて(声域が広いのです)二曲を歌い分けるのですが、どちらもしゃくり上げるような『園まり節』ではなく、むせぶような唄いかた。

「♪横をむかないで」の唄い方を「♪愛の園」ではさらに強調することで「これはアンサーソングなのよ、気づいて」とメッセージを送っているようにも感じます。

そして、布施バージョンの「♪愛の園」→「♪横をむかないで」→園まりバージョンの「♪愛の園」と三曲続けて聞くと、一つの物語になっていることが解ります。

最初の「♪愛の園」で、"彼"は真剣に「二人だけの愛の城」を目指します。
乗り越えるのが難しい「壁」が立ちはだかっているのを、本能的に感じてはいますが、「君と 君と行こう 愛の園♪」に強い決意と希望を感じます。
一方「♪横をむかないで」で"彼女"は、彼の愛に幸せの絶頂なのですが、時折考え込む彼の横顔に「しのびよる別れ」の不安を感じます。

そして園まりバージョンの「♪愛の園」は歌詞・メロディとも布施バージョンと全く同じながら、新たな息吹を与えられ、正反対の印象を持つ歌となっています。
「どこに どこにあるの 愛の園♪」が際だっているために、そう聞こえるのですが、声に込められた「気持ち」だけで「終わってしまった切ない恋物語」を暗示しています。
・・・どう言えば伝わるのでしょうか。
『園まり』にして、悲しみを表現すると、こうなるというか、同じ楽曲がここまで"絶望的"な歌になるなんて、想像も出来なかった。
「二人 二人だけの 愛の園♪」と唄うフレーズでさえ、「あんなに、愛しあった、二人なのに」と聞こえてしまう。

この三曲をどのように感じるかは、聴く人次第でしょう。
それぞれの感性、それぞれの人生、それぞれの経験。
でも私には、「アンサーソング」に聞こえるし、一曲ずつ聴くより、いっしょに聴いた方が、より美しく感じ、心に染みる。

私はこの三曲と冒頭の「♪愛のフィナーレ」を聴くと、先ほどのT君とEちゃんの「初めての恋物語」を思い出します。
恋の終わり、それは、想いでの、はじまりなのです。
彼は、知っていました、、、別れはくると。

人は悲しみを知ったとき、人の幸せを願うものです。
たとえ、恋に破れた相手でも。
あれ以来、二度と会うことのない二人ですが、T君は想うのです。
Eちゃんが、しあわせに暮らしていますようにと。
そして、心の傷痕を埋めてくれた〝妻〟を見つめました。
いとおしさを感じながら。

・・・おしまい

大人になって罹った麻疹(はしか)は、重い

副題:『♪あなたのとりこ』/『♪私を責めないで』

Photo_4

以前、「幸せになってね わたし祈ってます」のページを書くときに、園まりさんの『♪私を責めないで』を何度も聴いて、いろんなことを想いました。

まりさんの代表曲の一つ『♪あなたのとりこ』には、「愛するこころの 切なさを あなたに逢うまで 知らずにいたの♪」と言うフレーズがあって、希望に胸ふくらませる『初恋』の歌であるのが、判ります。
『♪あなたのとりこ』がリリースされたのは、1968年、園まりさんが、ちょうど24歳になった頃なんですが、「あれ」っと思いませんか?

24歳というのは、普通なら「過ぎ去りし、甘酸っぱい初恋」を思い出す歌が、ふさわしい年齢ですよね。
そう想ってこの歌を聴き直すと「あなたにつくして 生きるため 私はこの世に 生まれて来たの」と、いきなり出てきます。
これって、「あなたに尽くして、一生共に」との意味にもとれるので、「甘酸っぱい、十代の初恋」ではなく、『結婚適齢期』の女性が、初めて経験する恋の歌、と考えるのが自然です。
「大人の初恋」の歌なんです(なるほど~)。
当時、園まりさんは、「色っぽい」と言われながらも、その実、清純な印象がとても強くて(今でもですが)こういった感じの歌は、合っていたのではないかと想います。

一方『♪私を責めないで』がリリースされたのは1970年、園まりさん26歳のときです。
この歌詞は「初めての恋に破れて この世の幸せを あきらめてすねた私に どうして そんなに やさしいのでしょう♪」と、ありますから、誰が聴いても、「二度目の恋」です。
円熟味を増した、美貌の女性歌手が歌うには、実にふさわしいこの歌、とても深い歌詞になっているのですが、分かるでしょうか?
ここに出てくる女性は、「初恋に破れ、幸せをあきらめて、すねちゃってる」わけで、しかも「捨てたりしないでね 冷たくしないでね」と言っているのですから、幸せの中にあっても不安を感じている。
とても深く傷ついているのですよ、きっと。

適齢期になって、初めての恋に破れたら...重症化します。
「めでたくゴールイン」を目指しますから、破れたときのショックも大きい。
免疫が出来ていませんからね、麻疹(はしか)みたいなものです。
辛くって、悲しくて「二度と恋なんてするものか・・・一生、結婚しないもんね(TT)」と、思っちゃいます。
それなのに、新たな出会いで、また、ときめいてしまうのですよね、これが。
別れた人の、薄れ行く想いに、ちょっぴり後ろめたさを感じながら。

何が言いたいのか解らないって?
それでは簡単に説明しましょう。
この二曲はシリーズ物の小説の如く、筋書きが繋がっています。
見方によっては「隠れたアンサーソング」と言っても良いでしょう。

結婚適齢期の女性が、初恋で、かれの「とりこ」になります。
「だからあなたを はなさずに 黙ってあとからついていく」と決心をします。

しかし結局...

初めての恋に破れてしまい、以前に書いたページの『二度目の恋』にお話が繋がります。
こじつけだって?
そうです,そうです、「こじつけ」なんです(^^。
でも、作家の先生方が、色々な想いで、作品を作られた可能性は十分あるし、なにより、漫然と聴くより、こういった想像を巡らせて聴いた方が、ずっとロマンチックな気分になれると想いませんか?

是非、お試しあれ。

・・・おしまい

「♪心の窓にともし灯を」

副題:そっと見守って

悲しい...やっぱり悲しい

いま、7月6日の夜更けです。

いつもなら、文章を書いて、すぐブログに上げてしまうのですが、今回はすぐに上げる気になれません。
悲しくて 寂しくて、頭のヒューズがとんでしまったので、もしかしたら馬鹿なことを書いているかもしれない。
後日読み返してからUpします。
じゃないと、誰かを傷つけてしまいそうな気がする。

Photo_2

今朝の日経新聞に園まりさんのインタビュー記事が載っていました。

ザ・ピーナッツの〝伊藤エミさんを悼む〟と云う題名で、「あこがれの先輩」と書いてあった。
1969年に出された「捨て煙草」というシングルのジャケット写真。
ここで着ているのが、伊藤エミさんから頂いた衣装なのだそうだ。

よほど嬉しかったのでしょう、今までの衣装で、一番のお気に入りだそうです。
写真を見ると、スレンダーに見えて、たしかによく似合っている。

園まりさんは、ザ・ピーナッツにずっと憧れ続け、またかわいがられていたようです。

他にも色々なことが書いてあったが、最後のほうに、「エミさん、少し落ち着いたらお手紙を書きますね。ありがとうございました。」とあった。

すぐにでも駆けつけて、天国のエミさんにお礼を言いたい。
ご冥福をお祈りしたい。
そんな気持ちは山々なんでしょうけど、いまは、そっとしておいてあげたい。
ピーナッツのお二人は、今では最後まで「普通の人」として、静かに人生を送りたいと思っていた。
だから、エミさんの葬儀も身内だけで行われたし、マスコミも一切呼ばれていなかった。
だからまりさんも、せめて「少し落ち着いたらお手紙を書きますね。」と言われている。

これが本当なんだ。

現役時代の「ザ・ピーナッツ」の特集や追悼番組は、どんどん企画してほしいが、今のお二人はそっとしといてほしい。

のこされた妹、ユミさんの気持ちを芸能界で一番解っているのは、お二人を慕っている後輩達だろう、たぶん。
中でも、園まりさんは、特にそうじゃないのかな。
去年、最愛のお姉さんを亡くされ、共通の悲しみを持っているから。
いつも、エミさんのファッションやメイクや身のこなしを研究して、真似してた。
それで、似ていると言われたときは嬉しかった。
そんなことを、映画「クレージー黄金作戦」のコメントトラックなどでも言われていた様な気がする。

まりさんが公の場で初めて歌った曲は、私の知る限り「♪心の窓にともし灯を」だと想う。
「園まり16歳、NET・あなたをスターにで優勝」したときのことです。
このとき、一人で唄うのに、あえて、デュオの曲を選んだ。
芸能界に入る以前から、お二人に憧れていたのでしょうか?

そしてこの曲は、ザ・ピーナッツが引退されるとき、最後のテレビ出演で唄った曲でした。
まりさんは、お二人の後ろ姿に、何を想われていたのでしょうか?

マスコミの方にお願いです。
沢田研二のことなど、かまわないでください。
今はそっと、エミさんのご冥福を祈ってください。
そして、のこされたユミさんが、幸せな人生を送れますように、ただそれだけをお祈りしてください、お願いします。

これからも、ザ・ピーナッツのことを、大勢のファンが見守ります。
ザ・ピーナッツのことを、慕っている、大勢の後輩達が見守ります。
そしてユミさん。
「心の窓に灯を」。
ほら エミさんが見守っているでしょう

幸せになってね わたし祈ってます

副題:歌はドラマだ

Photo

『ザ・ピーナッツ』のエミさんが亡くなったのは、とてもショックで、落ち込みました。
人の幸せを願うときって、ほのぼのとした気分になるものだと想ってた。
それが、のこされた妹・ユミさんの幸せを祈ったとき、悲しくて、切ない気持ちでいっぱいになって、一つだけ新しいことを学びました。
「人は悲しいときにも、人の幸せを願うものなんだ」。

お気に入りの歌をいっぱい作曲してくれた宮川泰先生が亡くなって、大好きだった谷啓さんもいなくなり、こんどはエミちゃん。
私の子供時代、青春時代に慣れ親しんだ芸能界の人が消えていく。
こうなってくると、現役で活躍されている園まりさんが、益々、かけがえのない存在に感じられます。
「縁起でもないこと言うんじゃない!!」と叱られそうですが、お体をいたわって、長く活躍してほしいです。

それはそうとして、いつまでも悲しんでいても仕方がないので、少しでも明るいことを書いてみたい。
書けるかどうか分からないけど・・・

ユミさんのことで「お願いです、どうか幸せになって下さい、それだけを祈っています」と書いて、それを後日読み返したら、「♪幸せになってね」と「♪わたし祈ってます」が頭に浮かんだ。
その詞と自分の書いた文章を見比べると、あまりにも似ていて、我ながら驚いているのですが、歌詞が脳の回路に刷り込まれていたのでしょうか?

「♪幸せになってね」は園まりさんの73年8月にリリースされた曲。
「♪わたし祈ってます」は1974年に、敏いとうとハッピー&ブルーが大ヒットさせたのですが、どちらもオリジナルは、1972年3月発売の松平直樹とブルーロマンと云うことになっています(だそうです)。
しかし聴いてみると、まるで、園まりさんが唄うことを前提に作られたような感じ。

まりさんの曲は、「からだに十分 注意をするのよ♪」で始まり「幸せになってね わたし祈ってます♪」で終わっていて、愛する年下の彼を気遣いながらも、避けられなかった別離を唄っています(ハッキリ年下とは言っていないのですが、まりさんが唄うとそう聞こえます)。

ハッピー&ブルーの「♪わたし祈ってます」の方は、比較的さらっと歌い、CMソングにも使えそうな感じで、いかにも一般受けしそうですが、園まりさんの「♪幸せになってね」になると、ちょっとちがう。
たっぷり情感が入っており、「実際にあったことをそのまま詞にしているのでは?」と想ってしまうほど。想像をふくらませるには、ピッタリです。

やっと調子が出てきました、ここらあたりで、いつもの妄想と行きましょうかね(^_^;。

では、実ることのなかった『恋』のお話を一つ。


『二度目の恋』

昔むかし、そうですね、昭和40年代としておきましょうか。
都内の片隅に、中堅の商社がありました。
ここの秘書室には、M子さんという、美貌のOLさんがいましてね。
元々、営業で採用されたのですが、能力を買われ、企画部→秘書室と抜擢されたわけです。
歳の頃なら20代半ば、その愛嬌のある性格と相まって、男性社員の間では一番人気です。
「恋多き女」と噂される彼女でしたが、実は恋愛経験はそんなに多くありませんでした。
何故かって?
「慎重」だったんです、恋愛に。
元々慎重派だったのですが、20代前半、「初恋」で結婚直前まで話が進みながら、実らなかった。
そのことで、彼女の心には、深い傷痕が残りました。
別れた人への想いもひきずっていて、ますます消極的に。
もう一つは(こちらも理由としては大きいのですが)、周りの男性は皆、秘書室のエースで美しい彼女を『高嶺の花』と決め込み、尻込みした。

そんなところへ現れたのがO君、取引先の会社から出向でやって来た、有望なルーキーです。
M子さんより3歳年下の彼は、皆が『高嶺の花』と遠巻きする中、彼女に猛烈アタックします。

実を言うとO君、以前仕事でM子さんと会ったとき、その美貌と、愛嬌ある人柄に一目惚れしてしまいました。
そして、彼の会社で出向の希望者を募っていたとき、同僚が尻込みする中、真っ先に名乗りを上げたのです。

彼女にしてみれば、初めて出会うタイプでした。
ちょっと強引ではあるけれど、優しい。
年下なのに、大人っぽいところがあるかと思うと、無邪気で甘えん坊で、何よりも彼女に「首ったけ」な気持ちが伝わってきて、かわいかった。

M子さんは、彼にのめり込みます。
初めての恋に破れて、幸せをあきらめていた彼女にとって、二度と巡ってこないだろうと想っていた「ときめき」でした。
彼女の胸の傷痕は 彼の優しさで埋められていきます。

幸せな"とき"が過ぎていくある日、彼女の部署に新しい上司である、I部長がやってきました。
少し変わり者であるこの上司は、頑固者で、その上信念の固まり、社内でも恐れられる存在となりますが、一方その人望故、部下から多くの信頼を得ます。
そして、M子さんの能力と誠実な仕事ぶりを気に入り、高く評価しました。
大切な商談の時などは、必ず彼女をつれていくようになったのです。
ただ、まずかったのは、I部長が若くてダンディだったこと。
M子さんとは、6歳ほどしか歳が離れていなかった。
二人は、純粋に「仕事のおつきあい」しかなかったのですが、一緒に歩いていると「お似合いのカップル」に見えました。
火のないところに煙が立った。

いわれのない噂は、やがてO君の耳にも入りました。
それが原因なのか、二人の間にぎくしゃくしたものを感じるようになります。
大人っぽいとはいえ、彼はまだまだ若すぎたのでしょうか?
そんなおり、O君にヘッドハンティングの働きかけがありました。
九州の小さな会社でしたが、社長として経営に参加してくれないかと。
『実業家』は彼にとって小さい頃からの『夢』でした。
しかし、彼女にとっては『悪夢』だった。
このタイミングで遠く離れることは「愛の終焉」を予感させることでした。
それでも、彼を引きとめることは出来ません。
「私のために、夢をあきらめて」とは言えなかったのです。
出てきた言葉は「からだに十分、注意をするのよ」でした。

しばしの時は巡り、次の年末年始、M子さんはハワイにいました。
「良い身分だなぁ~」って?
いいえ、遊びじゃありません、お仕事で社長のお供です。
新しい事業をお得意様にアピールするため、ハワイ旅行にご招待し、プレゼンテーションする目的です。
高度成長時代のさなかでしたからね、仕事とはいえゴージャスなものでした。
このとき彼女は、秘書兼通訳とプレゼンテーターを任されます。
普通、こういった仕事は広報部がすべきことで、秘書室は関係ない筈ですが、一人でこれだけこなせる人材が、他にいなかった。
その実力を買われたわけです。
ステージに上がりプレゼンをする彼女ですが、その中にO君が作った企画がありました。
たまたま二人だけで残業したとき、彼が自慢げに話していた企画です。
当時の記憶が、走馬燈のようによみがえり、悲しくなったM子さんは、泣き出してしまいます。
泣きじゃくる彼女に、周りの者は、何がなんだかわかりません。
この時のお仕事は、失敗に終わりました。
彼女にとっては、初めての失敗です。

日本に帰ってから、このことは、社内で噂になり、M子さんの恋愛に関して無責任な憶測が飛び交います。
内気な彼女ではありましたが、目立つ存在だけに、一旦噂に火がつくと収まること無く広がりました。
針のむしろに座るような毎日でしたが、ある日突如、朗報が飛び込みます。
『彼』が帰ってきたのです、東京にO君が。
九州の会社を短期間で大きくし、本社を都内に移しました。
しかも、筆頭株主として、事実上のオーナー社長になり、彼女を迎えに来たのです。

「誤解して悪かった、君の噂はずっと聞いていたよ」と彼。
彼女は彼の胸に飛び込んで言いました。
「お帰りなさい、わがままなあなた」
そう言ったつもりでした。
でも実際に口から出た言葉は「いいの・・・いいの」、ただそれだけでした。
そして、彼と彼女のステディな関係を見た周りの者から、根も葉もない噂は自然消滅していきました。

この恋は実ったのかって?
いいえ、一番上に、実ることのなかった『恋』って書いてあるでしょ(^_^;

それから2年後、ひんやりとした夜空に浮かぶ月を眺めながら、彼女は想いました。
「心変わりなんて、よくあることだけど...ちょっぴり意外でした、あなたにかぎっては」。
そして、別離の日、最後に彼に向けた言葉を、もう一度心の中でつぶやきました。
「幸せになってね」...


人は悲しいときにも、人の幸せを願うものです。

ところで、男性諸君に伺います、別れの際(きわ)に、彼女から言われたことありませんか?
「もっといい人見つけるのよ、幸せになってね」と。
これは、一種の社交辞令みたいなものですが、本心でもあります。
一度は愛した人が、憎かろう筈はありませんからね。
そして、「私のことは、忘れて」と云う意味にもとれます。
要するに「ふられた」訳ですな(^_^;

歌謡曲だからと云って、タカをくくってはいけません。
作詞家・作曲家・歌い手と、一般人より遥かに感性の豊かな人たちが、自らの想いや気持ちを乗せています。
そこには、一曲ずつドラマがあり、さらに相互に繋がって、「新しいドラマ」をかたちづくっています。
先生方が、唄い手のイメージにふさわしい曲を、以前リリースした曲に会わせて提供することは、多いですからね。
だから「隠れたアンサーソング」になっていることも、あるわけです。

ところで、念のためにもう一度お断りしておきますが、上のお話は、完全なるフィクションです。
登場するのも、全て実在しない架空の人物で、園まりさんの歌をヒントに、創作したものです。

この頃の、園まりさんの歌を聴くと、最も脂がのっていて、歌手として一番「おいしい」時期であることが分かります。
表現力、特に感情表現というか、唄声に「気持ち」を乗せることにかけては、天才的なものを感じます。
一つ残念なことは、ヒットから遠ざかっていた為、「園まりにして最高の実力」が、あまり世間に知られていないことです。
ラジオなどから流れると良いのですけどねぇ、この頃の唄声が。

さて、ここでクイズです。
「♪幸せになってね」を中心に、もしかすると、ドラマとして筋書きが繋がるのではないかと想われる歌を引用して、物語を作ったのですが、この中に何曲あるでしょうか?

正解は、ずずずいっ~と下の方までスクロールして下さいネ。

物語に沿って順番に曲名を上げると、次のとおりです。
「♪私を責めないで」→「♪幸せになってね」→「♪お帰りなさい」→「♪面影のワルツ」の四曲でした。

一応4曲のはずですが、しっかり確認することなく、思いつきで書いたので、実際の歌詞とは少し違うし、他にも何曲か入っているかも知れません(^^;ゞ。

「♪私を責めないで」は二度目の恋を暗示し(と云うより、ハッキリそう言ってますけど)、後の三曲は、年上の女性が持つ包容力を感じさせます。
ここで、一つだけ不思議に想うのは、「♪お帰りなさい」です。
この曲、帰ってきた彼に「切なかった胸の内」をぶつけながらも、気遣っている歌詞で、基本的にはハッピーな歌の筈なんです。
ところが、唄声を聴くと、終わってしまった恋、去ってしまった彼を、淋しく想い出しているように聞こえることです。

何故なんでしょうかねぇ...私の感性が変なのでしょうか?
あなたはどう想いますか?

・・・おしまい

こんなに悲しいとは...想いもよらなかった

副題:夜明けまで『ザ・ピーナッツ』を聴いた日

Photo

以前、『モスラ 封切り50周年』の記事を書いたとき、『ペアバンビ』(2代目小美人)のお一人が亡くなられていたのを知り、言いようのない不吉な予感がしました。
そして、「そんなこと考えてはいけない!!」と必死にうち消していた時期がありました。
最近やっと、嫌な予感から解放されたと思ったのに。

エミさん、どうしてそんなに早く逝かなければならなかったの?
悲しいです、切ないです。

もの心ついた頃には、お二人は既にトップスターで、毎日のようにテレビやラジオから歌声が聞こえていました。
我が家はトコヤさんだったので、お店からはラジオの音がいつも聞こえており、幼児期もその中で育ちました。
だから、ピーナッツの歌声を、子守唄として聴いていたかも知れないと想います。

そして、子供時代はその環境の中で育ったので、ピーナッツの歌声は「あって当然」、空気のようなものでした。

それが、私が19歳の時、突然聴かれなくなった。
お二人が引退されたから。
そのことは、頭では分かっているのだけれど、何故か受け入れられなかった。
「最近、ピーナッツどうしたのかな?」・・・「そうだ、引退したんだ」そんなことを繰り返し想いました。

テレビで姿を見られないことが、寂しかった。
ラジオから声が流れてはこないと想うと、一つの時代が終わったように感じて...
昭和50年代「♪キッスは目にして」という曲が流行ったとき、「♪情熱の花」を想い出して懐かしかった。
きっと『ピーナッツ』もどこかで聴かれているのだろうと、お二人に想いを馳せました。

ここまで読まれた方の気持ちを、裏切るようで、申し訳ないのですが、私はとくに『ザ・ピーナッツ』のファンというわけではありません。
お二人がデビューしたころに、もの心がつき、その歌を聴いて育った世代の、ごく平均的な人間です。
だから、同年代の方が『ピーナッツ』を想う気持ちは、皆これに近いものがある筈です。

そのくらい偉大な存在だった。
たとえコンサートに行かなくたって、殆どレコードを買わない人だって、皆ピーナッツが好きだった。
テレビに映るお二人の姿を見て、ほのぼのとした気分になった。
日本中に「小さな幸せ」を届けられていました。

Winkの「♪ふりむかないで」を耳にしたとき、「お二人も、どこかで聴かれているのだろう」と想いをよせました。
でも今は、それすら叶わなくなった。
悲しい...悲しい。
訃報をニュースで知った夜、寝付くことは出来ませんでした。
明け方まで、CDを聴きました。
手元にあるのは『ベスト・アルバム』と『ザ・ピーナッツsings宮川泰』だけです。
これを、繰り返し繰り返し聴きました。
それまであまり意識しなかったけれど、お二人の歌声に、情感がたっぷり入っていることを、初めて知った。

Photo_2

次の土曜日、お二人が通っていた学校を見に行きました。
我が家の近くなので、よく前を通るのですが、こんな気持ちで、しみじみと見るのは初めてでした。

今一番気にかかるのはユミさんのことです。
エミさんと、一心同体でしたから。

とても辛い気持ちで、深い悲しみの中におられるのでしょう。
絶望の淵に沈まれていなければよいと想うのですが。

すぐに元気になって下さいとは申しません、そんな無理なこと。
少しずつで良いのです。
そしていつか、甥御さんと一緒に、お姉さんの思い出話に花を咲かす事が出来る日が来ますように。
きっとエミさんもそれを望んでいると思います。
一心同体でしたから。

幸せになって下さい、お願いです、それを祈っています。
いつか、噂を聞けると良いなと思っています、「ユミちゃんは幸せに暮らしているよ」と。
お願いです、お願いです...どうか幸せになって下さい、それだけを祈っています。
そしてお礼を言いたい。
エミちゃんありがとう、ピーナッツありがとう。
美しい歌声を、楽しい想い出をありがとう。

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »