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「♪あれがお父さまよ」

副題:戦後はまだ終わっていない

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少し前、中日新聞に、戦争体験記事が載っていました。
大勢の体験記事が連載される中、一人のおばあさんの記事が目にとまり、それを読んだときから、忘れられなくなってしまいました。
自分の言葉で伝えられると良いのですが、私の経験と稚拙な文章では、とても無理なので、引用することをお許し願いたい。
以下は、ほぼその全文です。


沖縄戦で夫が戦死した。
結婚して一年半、18歳で長女を身ごもった時に召集令状が届いた。
夫は「半年前に入隊していれば、おまえをこんな目に遭わせずに済んだ」と哀れんでくれた。
「あなたが帰ってこなくても私が働いてこの子と生きていきます」と答えると、夫は涙をこぼし、ぎゅっと抱き寄せてくれた。
沖縄から名前を書いた白木の札だけが戻った。
戦後、夫が艦砲射撃を浴びた洞窟を訪れた。
遺骨の山を見て「この中にあの人がいるかも」と涙した。
再婚話は全て断った。
それがあの人との約束だったから。


「あなたが帰ってこなくても私が働いてこの子と生きていきます」と書いたところで、不覚にも涙がこぼれてしまいました。
お国のために、見事散らねばならない時代「生きて帰って」とは言えなかったかもしれないが、それ以上に、二度と逢えないことを覚悟して「この子と生きていきます」と健気に振る舞わねばならなかったのが、あまりにも憐れで。
太平洋戦争末期に沖縄に行くというのは、そう云うことだったのでしょう。

これを読んで、真っ先に思い出したのが、「じいちゃん」のことでした。
私の叔父二人は、同じく戦争末期、南方の前線で亡くなっています。
戦死と戦病死だそうです。
私が生まれる遥か以前なので、会ったことはありません。
母方の在所に行くと、仏壇には今も遺影が飾ってあり、それで姿を偲ぶのみです。
出征前に撮ったと想われる写真は、若く凛々しいのですが、何となく哀しげに見えて、複雑な想いです。
今は亡き祖父は、二人の訃報が届いたとき、家族に涙を見せたくなくて、真っ暗になるまで、畑で泣いていたそうです。
気丈な祖父が、何十年経っても、遺影を前に泣いているのを、見たこともあります。
夫を亡くした妻、父を亡くした子、我が子を亡くした親・・・決して心の傷が癒えることはありません。
「じいちゃん、あの世で、二人と逢えますように...」

そして同時に思い出したのが、園まりさんが唄う「♪あれがお父さまよ」。
昭和40年秋に発表されたこの歌は、神風特攻隊で亡くなった方の妻が、テレビに映る夫の写真を見つけ、19歳の娘さんに「あれがお父さまよ」と叫ぶお話。
これがどうも、実話が元になっているらしいのです。

この中でも「3番」が特に切ないと想うのですが、その部分だけ抜き書きします。


今はこの子があなたのかわり
いつでも私のそばにいます
ーあれがおとうさまよー
母子(おやこ)ふたりが手を合わせ
捧げる祈りに さしぐむ泪


「今はこの子があなたのかわり」・・実は私の母が同じ言葉を言ったことがあります。
私の父は、私が15歳のとき、若くして病で亡くなったのですが、それから数年後、母が仏壇に向かっているときでした。
正確には「今はこの子たちが、あなたのかわり」でしたが(私には弟がいるので)。
夫を亡くした妻の愛情は、我が子に向かうのでしょうか?
実話が元にならなければ出てこない詞です。
聴くときには、どうか歌詞を、目で追ってほしい。

そしてこの歌にはアンサーソングがあります。
同じシングルのB面、「♪涙のスクリーン」。
こちらも「3番」だけ抜き書きします


ーあれがおとうさまねー
うつる写真に駈け寄って
すがりつきたい娘のこころ
瞼まっ赤に泣きはらし
何度も何度も呼びかける
遠い空の おとうさま


昭和30年を過ぎた頃から「戦後は終わった」との言葉があるようですが、本当は今でも終わっていない。
この歌や、冒頭の戦争体験記事に出てくる娘さんは、60代後半になっているはずですが、どこかで父を知らない寂しさを、いまも感じていることでしょう。
そんな人は、まだまだ日本に大勢いる。
夫を亡くした妻、父を亡くした子、そして我が子を亡くした親の悲しみは、何十年経っても、決して消えることはありません。
戦争は何があってもダメです、絶対にしちゃいけない。

「♪あれがお父さまよ」は当時かなりのヒットをしたらしいのですが、時代背景色が強すぎたのか、美しくも哀しすぎたのか、その後殆ど歌われることもなく、忘れられてしまったようです。
かく言う私も、聴いたことがあるような無いような、あやふやで、殆ど記憶にありません。
でも、この2曲は、唄い繋いでいくべき歌だと想うのですが、どうでしょうか?
全ての日本人から戦後の記憶が無くなったとき、日本丸の舵は、おかしな方向にきられ、「戦前」になるような気がします。

・・・おしまい

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