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メロディと共によみがえる記憶

副題:親父のこと

自分が子供を育てるようになってから、亡くなった親父のことをよく思い出す。
長男が三歳の頃、いつも走り寄ってきては、ガバ~と抱きついてきたものだが、「あ~、俺もよくこんなふうに抱きついたな」とか、子供が熱を出して、病院に連れて行ったときは、自分が幼いとき医者につれてってもらった記憶など。

今は、子供たちも大人になって、親の出る幕もなくなりましたが、懐メロのCDを聴くようになってからは、そのメロディとともに、親父のことを思い出す。

親父は相当な変わり者で、音楽に極端な関心を示す人だった。
戦時中、未成年のくせに、今で云う「バンド」を組んで演奏していたらしい。
(成人だったら、戦地に送られていたか?)
無声映画で楽士のアルバイトをしていたこともあるそうな。
私が物心ついたころ、家にはまだ、大きなアコーディオンや特注のギターがころがっていたし、貧しかったのに、洋楽のレコードがたくさんあった。

そんな親父の話では・・・
私が最初に歌った流行歌は、坂本九さんの「♪上を向いて歩こう」だったらしい。
当時、5歳だったはずなので憶えていても良さそうなものだが、全く記憶にない。
小学校低学年の頃(昭和38年)、アメリカでこの曲が大ヒットしたことが話題になって、そのとき親父が言ったのです。
「おまえが初めて覚えたのはこの歌だ『上を向いてよ↑、下を向いてよ↓』を延々と歌っていたんだよ」ってさ。
「歌詞、違うじゃんか」と思いましたが、音程だけはしっかりしてたと言われた(^^;。

でもその頃興味があったのは、「坂本九」ではなく「ザ・ピーナッツ」でした。
華やかで、明るく、楽しい雰囲気が好きだったんです。
あまり記憶に自信がないのですが、昭和39年の春休みくらいに、テレビで「映画:モスラ」を放送していたことがありましてね。
それを観て「小美人」がピーナッツだと、初めて気がつきました。
それでますます好きになった。

Photo

「モスラ」が劇場公開されたのは、昭和36年の夏ですから、当時私はまだ5歳。
幼すぎて、映画館にはつれていってもらえませんでした。
それでも、観たくて観たくて、毎日「お絵かき帳」に映画雑誌のモスラと小美人を書写しておりました。
我が家はトコヤさんだったので、待合室の雑誌をちょっと拝借してくれば、そういったモノには不自由しなかったのです。

ピーナッツの姿は、主に「ザ・ヒットパレード」と「シャボン玉ホリデー」で観ることが多かったのですが、中でもヒットパレードの方は、いつも親父と一緒に観ておりました。
たぶん、火曜夜の放送だったのではないかと想います。
トコヤさんが家族だんらんを過ごせるのは火曜日だけですから。

ところが、この時とばかり、親父の悪い癖が炸裂しましてね。
「解説魔」だったんです。
『ピーナッツは名古屋出身で、通っていた学校が近くにあって・・・』。
『この歌唱法は○○で□□と同じ歌い方だ』
まったく、参りましたね~、そんなことドーデモイイのです、子供だった私にとって。
ピーナッツの歌が聴けて、踊りが観られれば。

それでも、一人で観る「シャボン玉ホリデー」より、親父と観る「ザ・ヒットパレード」のほうが楽しかった。
今になって想います。
あのとき、ちゃんと話を聞いておけば・・・もっと想い出が増えていただろうに。

「モスラ放送」と同じ昭和39年の秋に、私にとって衝撃的な出来事が起こります。
ある日突如として「歌手:園まり」が好きになった。
両親が好き、ピーナッツが好き、仲の良い友達が好きなどとは全く違う、胸がしめつけられるような不思議な感覚。
もちろん八歳の子供でしたから、美貌がわかるわけもありませんし、女性として好きになったわけでもありません。
当時、学校でひどく虐められていた私にとって、園まりさんの歌声と、姿から感じる優しさが、かけがえのないものに想えたのです。
好きなモノとか、好きな人といった感覚を超越して大好きになりました。

一方、親父の「解説魔」ぶりはその後も相変わらずで、怪獣映画のときは『特撮の方法』、探偵モノは最悪で『ネタバレ』までする始末。

Photo

今気がつきましたが、以前に書いた《あなたのとりこ?》と完全に話がだぶってますね(^^;。
でも、個人的なブログ(日記)だからこれで良いのです(と、ひとりで納得)。

それで、中学生になったときあることに気がついた。
「解説魔」の親父が、園まりさんがテレビに映っているときに限って、静かなことに。
「♪あなたのとりこ」が流れていた時だから、昭和43年の春頃だと想う。
いつも、園まりさんの姿を食い入るように見つめていた私でしたが、何気なくふり返ったら親父も同じだった。
好きだったんですきっと、親子そろって、おなじ人が。
生まれて初めて「嫉妬」しました。
「まりさんを好きになったのは、俺の方が先なんだよ」って思いましたね。

そんな親父も、私が15歳になった頃から、人生訓らしきものを、口にするようになりました。
決して説教がましくなく、なかなか面白い話が多かったのですが、トコヤさんとして、跡を継がせたかったのでしょうか、商売人としての基本が多かったような気がします。
結局、期待を見事裏切り、しがないサラリーマンになってしまいましたけどね。

人生訓より、もっと面白い話もしてくれましたよ。
「美人」のおはなし。
血は争えないと云うか、15歳にしてすでに「面食い」だった私に、先輩として色々教えてくれた。
どんな女性が、本当の美人なのか、理想の女性像とはどんなものかと云ったお話です。
『頭が良くなければ美人にはなり得ない、優しい心がなければ女らしくない』
この時の題材は「松坂慶子」でしたが...。

ところがその半年後、私が15の梅雨の日でした、父は突然帰らぬ人となったのです。
脳溢血でした。
そんなに早く亡くなるのなら、「解説魔」の話をもっと聴いておけば良かった。
人生訓を真面目に聞いておけば良かった。
理想の女性像も、本当は園まりさんで、同じ話がしたかった。

今私は「人生に必要なモノの考え方」を子供たちに伝えようとしています。
「美人のおはなし」はしませんが。
しかし、現代の子はそういった話は聞きませんね~
こと、長男にいたっては、『特撮の解説』の方が興味あるみたい。
困ったもんだ、ヤレヤレ・・・おしまい

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