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2012年5月

男ってやつは

副題:園まりさんの心ばえ

前回「まりちゃんのヒストリー」を書くに当たって、自分のブログを読み返してみました。
参考になるかも、と考えたからです。

それで、参考にはならなかったのですが、つくづく思ったのは「男ってやつは、なんて、しょうもない生き物なんだろ」ってことでしたね。
私だけかも知れませんけど。

小学生の時、園まりさんが好きになったのは、優しさと誠実感が漂う歌声、しぐさ、眼差しに惹かれたからでした。
当時、生まれて初めて「不誠実で優しくない」大人に出会って不信感を持ち、心が揺れ動いていた私を救ってくれたのが、「歌手:園まり」だったのです。
「こんなに一生懸命で優しく、真面目そうな大人のひとがいるんだ...」
そして、何十年かの時を経て、園まりさんを見たとき、あの優しさと、誠実さが、作りものでは無かったことを知って、また好きになった。

Photo

今日、この文章を書いている途中、恋しくなって、DVDを観ました。
去年7月「歌謡コンサート」に生放送で出演されたときの映像です。
とてもエレガントな雰囲気ながら、草野さんとお話しされたときは、多少緊張しているのか、チョッピリ無邪気な感じがして、そんなところからも、誠実な人柄を感じます。
ところが「♪何も云わないで」を唄うために立ち上がるとき、横にいる布施明さんが、腕を支えるんですよね。
この頃は、まだ体力が充分回復されていなかったのでしょうか?
お姉さんが亡くなったり、声が出なくなったりで、この年の前半は本当に大変でしたから(実際ふらふらになって、倒れたこともあるようです)。

でも、表情からは、そんなこと一切感じさせません。
感じるのは、歌に対する情熱と、聴き手に向けられた誠意です。
ご自身が歌手である事への使命感です。
なんて、一生懸命なんだろう...

それなのに・・・その頃書いた自分のブログを読み返したところ、まりさんの美貌にただ目を奪われるばかりで、肝心なところは何も見ていない。
他のページも大同小異で、読み返しているうちに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
いつも、誠実にお仕事に取り組まれる姿、人の気持ちを大切にされる心、人の哀しみをご自身のこととして感じられる優しさ。
それとは対照的に、美しさに心を奪われ、一人浮かれている自分。
もっと真面目にならなければと考えるのですが、自分の心が思いどおりになりません。

男はみんな、こんなものなんでしょうか?
女性から見たら、愚かに見えるでしょうね、きっと。
これは殆ど本能みたいなもの(というより、完全に本能)なので、容易には直らないと想います。
でもその分、園まりさんの「気持ち」や「想い」にも目を向けたいと思う今日この頃なのです。

追記:一つだけ言い訳をさせてほしいのですが、私が園まりさんを「愛らしい」と思うのは、美貌にイカレているせいではありません。
遠い昔の記憶を辿ると、女性の魅力なんて、全然理解できないほど幼い頃から、そう思っていたような気がします。
それは、まりさんが、誠実で、いつも一生懸命だから。
緊張しやすい癖も、それが最善を尽くそうとしていることを、感じさせるから。
そして正直すぎるくらい、自分を飾らない人だから。
よく知っていれば(誤解さえなければ)同性の目から見たって「愛らしい」のが「園まり」ではないかと想います。

まりちゃんのヒストリー

園まりさんの年表を作成中です。
一般に知られていることを、まとめただけのものですが、未だ確認作業が終わっていません。
内容に責任が持てません(というより、自身がありません)ので、引用等お控え下さい(^^;。


西暦 和暦    年齢  学齢     まりちゃんの出来事

                     「♪リリースされたシングル」

                     『リリースされたアルバム』

                     【出演映画】

                     《テレビドラマ》《テレビ出演》は数が多いので、
                     この表には記入できませんでした。


1944 昭和19   0歳           4月12日、横浜市保土ヶ谷に生まれる


1945 昭和20   1歳


1946 昭和21   2歳


1947 昭和22   3歳                    群馬県に疎開
                     遊んでいる最中、左腕骨折、腕が曲がってしまいます


1948 昭和23   4歳


1949 昭和24   5歳      


1950 昭和25   6歳


1951 昭和26   7歳  小学1年   骨折した左腕手術


1952 昭和27   8歳  小学2年


1953 昭和28   9歳  小学3年


1954 昭和29   10歳 小学4年  児童合唱団「杉の子こども会」に
                     臨海学校で溺れかけ、トラウマとなりカナヅチに


1955 昭和30   11歳 小学5年  キング児童合唱団に   少女モデルとして活動


1956 昭和31   12歳 小学6年

                      「♪つゆの玉ころり」


1957 昭和32   13歳 中学1年


1958 昭和33   14歳 中学2年


1959 昭和34   15歳 中学3年


1960 昭和35   16歳 高校1年    11月、NET「あなたをスターに」で、この歌を唄い優勝


1961 昭和36   17歳 高校2年    4月、渡辺プロオーディション合格、入社
                     NET「リズム・オン・ハイウェイ」のレギュラーに
                     お実姉さん(深山ゆりさん)と一緒に、野獣会のメンバーに


1962 昭和37   18歳                  5月、レコードデビュー
                     6月、日劇“ザ・ピーナッツホリデー”でステージデビュー
                     スパーク三人娘結成  シャボン玉ホリデー出演

                     「♪鍛冶屋のルンバ」5月
                     「♪マッシュ・ポテト・タイム」8月
                     「♪太陽はひとりぼっち」9月


1963 昭和38   19歳         NHK紅白に初出場(三人娘として、以後6回連続出場)

                     「♪燃える太陽」4月 「♪女王蜂」8月
                     「♪涙のバースデイ・パーティ」10月

                     『まりちゃんのヒット・アルバム』

                     【ハイハイ3人娘】1月
                     【若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん】6月


1964 昭和39   20歳                  8月、日劇ウエスタン・カーニバルでペギー・マーチと競演

                      「♪何も云わないで」がNHKきょうのうたに、大ヒットする
                     「園まり節」誕生

                     「♪夢の散歩道」1月
                     「♪聞いちゃった!歌っちゃた!泣いちゃった!」1月
                     「♪ほゝにかゝる涙」5月

                     『まりちゃんの夢のアルバム』

                     【続 若い季節】3月  【西の王将・東の大将】8月
                     【十七才のこの胸に】11月


1965 昭和40   21歳                 9月1日、赤坂にお店を開店
                     9月12日、サンケイホールにてファーストリサイタル
                     NHK紅白にソロで出場

                     「♪冷たい星の下に」3月  「♪この喜びの日に」6月
                     「♪あれがお父さまよ」9月

                     『何も云わないで』

                     【続 西の王将・東の大将】6月  【一発かましたれ】6月


1966 昭和41   22歳         6月、第一回日劇園まりショー
                     女性歌手部門でプロマイド売り上げ一位となる

300

                      11月、レコード売り上げ300万枚突破記念パーティー開催

                     「♪逢いたくて逢いたくて」1月 「♪何んでもないわ」6月
                     「♪夢は夜ひらく」10月

                     『園まり ふるさとを唄う』『逢いたくて逢いたくて』

                     【逢いたくて逢いたくて】6月


1967 昭和42   23歳                女性歌手部門でプロマイド売り上げ2年連続一位となる

                     「♪帰りたくないの」1月 「♪つれてって」4月
                     「♪愛は惜しみなく」8月

                     『まりちゃんの さのさ』『まりちゃんとデート』
                     『夢は夜ひらく』

                     【夢は夜ひらく】1月  【クレージー黄金作戦】4月
                     【愛は惜しみなく】12月


1968 昭和43   24歳

                     「♪好きなの好きなの」4月 「♪あなたのとりこ」4月
                     「♪ひとりにしないで」10月

                     『愛は惜しみなく』『泣きぬれて』
                     『まりちゃんとあなたの夜』

                     【クレージーメキシコ大作戦】4月


1969 昭和44   25歳

                     「♪おもいきり泣かせて」4月 「♪このままでいいの」7月
                     「♪気にかかる」12月

                     『恋のささやき』『恋の宴は果てしなく』

                     【愛のきずな】2月


1970 昭和45   26歳

                     「♪くちづけ」4月 「♪私を責めないで」7月 「♪未練」10月


1971 昭和46   27歳

                     「♪最後の一時間」5月 「♪私が何をしたのでしょう」10月          

                     『愛をあなたに』『むせび泣く夜』

                     【だまされて貰います】4月(クレジットバックのみ出演)


1972 昭和47   28歳

                     「♪旅情」7月


1973 昭和48   29歳

                     「♪恋する女のブルース」2月 「♪幸せになってね」8月

                     【夕日くん  サラリーマン仁義】9月


1974 昭和49   30歳

                     「♪お帰りなさい」1月 「♪面影のワルツ」6月


1975 昭和50   31歳

                     「♪本牧たそがれ」7月


1976 昭和51   32歳

                     「♪たそがれためいき曲り角/♪横浜あたり」6月


1977 昭和52   33歳


1978 昭和53   34歳

                     「♪舞酔坂」2月 「♪流されて」8月


1979 昭和54   35歳

                     「♪蛾」4月 「♪大阪の女」9月


1980 昭和55   36歳

                     『大阪の女』


1981 昭和56   37歳

                     「♪さかだち」10月


1982 昭和57   38歳


1983 昭和58   39歳


1984 昭和59   40歳


1985 昭和60   41歳


1986 昭和61   42歳


1987 昭和62   43歳        赤坂のお店を売却
                     一人暮らしスタート(人生を見つめ直します)


1988 昭和63   44歳        長者番付1987年分歌手部門トップに


1989 昭64平1 45歳


1990 平成2    46歳


1991 平成3    47歳        渡辺プロダクションを退社


1992 平成4    48歳


1993 平成5    49歳                   CM(六甲の おいしい水)で唄い、話題に


1994 平成6    50歳        一時休業


1995 平成7    51歳


1996 平成8    52歳


1997 平成9    53歳


1998 平成10   54歳        お父様との交流復活


1999 平成11   55歳        1月、弟さん亡くなる  5月、沖縄で母の日公演
                     7月、お父様亡くなる


2000 平成12   56歳


2001 平成13   57歳        芸能活動再スタート


2002 平成14   58歳


2003 平成15   59歳        園まり 復活   40周年記念リサイタル開催

                     「♪アマンII」10月


2004 平成16   60歳        8月、三人娘再結成


2005 平成17   61歳        1月、三人娘コンサートツアー、スタート


2006 平成18   62歳                  ラジオドラマ、流星倶楽部にて声優としても活躍

                     「♪2人はパートナー」4月

                     『新たなる飛翔(たびだち)』


2007 平成19   63歳                  3月、宮川泰 メモリアルコンサート
                     5~6月、読売新聞に「園まりさんのケアノート」連載


2008 平成20   64歳        1月、乳がん手術
                     12月「田舎に泊まろう」に出演、石巻を訪れる


2009 平成21   65歳


2010 平成22   66歳                   2010年活動状況
                     4月、アクティブシニアフェア in 名古屋ドーム


2011 平成23   67歳                1月、お実姉さん(深山ゆりさん)亡くなる
                     8月、震災後初めて石巻を訪れる
                     2011年活動状況
                     11月、米R&B歌手ベン・E・キング氏「スタンド・バイ・ミー」を園まりバージョンの日本語で吹き込み

                     「♪もう一度逢いたくて」6月


2012 平成24   68歳        1月、石巻市のビッグバンホールでボランティアコンサート
                     ニューバージョンの3人娘コンサート始まる


2013


2014


2015


2016


2017


2018


2019


2020


出典:[夕刊フジ:園まり自伝][ライナーノーツ][週刊誌、月刊誌、映画情報誌]他

リリースされたシングル曲は、AB両面の中から、独断と偏見で選んでいます。

伝説の園まり

このブログを読んだら判ると想いますが、私、園まりさんのことを何も知らないのです。

一途に見つめていたのは、昭和39年「♪何も云わないで」がヒットした8歳のときから、13歳になった頃まで。
そしてここ数年です。
しかも当時、我が家の教育方針が「子供は8時就寝!」だったために、夜のテレビが見られなかった。

つまり「私が知らない園まり」がいっぱいなわけです。
知りたい・・・知らずに過ぎてしまった「伝説の園まり」を。

Photo

ところで少し前に《木曜8時のコンサート》に出演されているところを観て想ったのですが、やっぱり「園まり」はカッコイイ!
やわらかな身のこなしに、軽快なステップ、進化した「園まり節」何度観ても飽きません、もう・・・脳ミソがシビレました。

「伝説の園まり」も、きっとこんなふうに、素敵なんだろうな。
「一番カッコイイ園まり」はいつだったんでしょうか。
もしかしたら「日劇、園まりショー」?

Photo

Photo_3

Photo_4

Photo_5

Photo_6

観たことがないので、写真から想像することしかできません。
でも一番上の、両手を高く上げてる姿なんて、可愛くて、カッコ良くて、スターのオーラで光り輝いている感じ。

ここに上げたのは、昭和43年6月のもの。
音楽の構成演出は宮川泰先生、出演は牧伸二・小松政夫・ドンキーカルテット他。
毎年同じ時期に催されていたらしく、少なくとも昭和41~44年は開催されたようです。
Wikipediaを見ると、《ザ・ドリフターズや布施明が前座をつとめていた》とあり、あらためて「まりさんって、凄い人だなぁ~」と感じます。

「日劇、園まりショー」の前はと云うと、同じ日劇の「ウエスタンカ-ニバル」や「ピ-ナッツ・ホリデイ」等に出ていたようです。
『ウエスタンカ-ニバル』出演は昭和38~39年頃ですから、園まりさん御自身が語った『園まり自伝』で《ウエスタンカーニバルでは「♪何も云わないでを歌った」》と云うのは、この時のことを言っているのでしょう。

ステージデビューは昭和37年6月『日劇 ザ・ピーナッツホリデー』、レコードデビューは同年5月、さらにその前は・・・どうも野獣会にいたらしい。
お実姉さんの深山ゆりさんと一緒に、六本木野獣会に出入りし、そこから、ツイスト大会や、ドラマにもアルバイトみたいに出演していたようです。
これは、先ほどの『園まり自伝』にも載っていたので、間違ってはいないと想う。
お二人が野獣会にいたのは、ナベプロ副社長だった、美佐さんの考えによるところだったのではないかと、想像するのですが、実際はどうだったのでしょうか?
キャンティの扉を開けると、そこに薗部姉妹が佇んでいたら、なんて、想像をかき立てられますよね~

このあたりになると、「私が知らない園まり」ではなく、世間一般の感覚でも『伝説の園まり』と云ったところでしょうか。
よく知っていても「カッコイイ園まり」、よく知らなければ、雲上に輝く伝説のスターなのが園まりさんなのです。
何というか、憧れて・・・魂が飛んでいってしまいそう。

・・・おしまい

成長する歌手

副題:まりちゃんの眼差し

Photo

先日《木曜8時のコンサート》で園まりさんを観ました。
いつも思うことですが、見るたびに、ますます綺麗になっているような気がしますね。
まるで、フランス人形みたい、可愛いなぁ~

Photo_2

こんな眼差しで見られたら・・・

歌いながら、微笑んで客席に向ける眼差しなんて、実にチャーミング、それでいて、凄いパワーを感じます。
直接ステージを観に行った男性ファンが、園まりさんの視線を感じて、舞い上がってしまう気持ち、わかりますね・・・うらやましい。
そう云うのを、『ナントカ光線を浴びた』とか、『○○ビームを感じた』と言うのでしょうか。

客席を見ると、中高年のおじさん達が、ジェントルに手拍子で、聴いてたりすることが多いのですが、きっと頭の中は「青春まっただ中」に戻っているのでしょう。
でも大人しすぎるよ。
いっそのこと、おじさん5人くらいで束になり「せ~の、まりちゃ~ん」って叫んだら、どうでしょうか(^^;
ちょっと恥ずかしいけど、園まりさんの視線をゲットできるかも?
そんなことを感じさせる「まりちゃんの眼差し」でした。

Photo_3

歌を聴いて、踊りを見て、最初に感じたのは、園まりさんの動きが、ステップなども含め格段に切れ味良くなっていることです。
ソフトなところは、よりソフトに、決めるべきところはよりシャープに、メリハリがあって実にカッコイイ。
「3人娘コンサート新ヴァージョン」の、涙が出るほど厳しいレッスンを、乗り越えた成果が出ているのでしょうか?

ところで、以前このブログのどこかで「園まりさんの美貌に惑わされることなく、子供の素直な目で本質を見ていた」みたいなことを書いた記憶があるのですが、今は美貌に惑わされています(^^;ゞ。
これではイカンと思い、目を閉じて聴いてみました、「♪太陽はひとりぼっち」。

はりのある声、艶のあるビブラート、緩急自在のささやき唱法。
もしかすると、前にも同じようなことを書いているかも知れませんが、ここで言いたいのは、それがさらに進化し、パワーアップしていることです。

声楽の技術的なことを述べるつもりはありません、私のような素人が、わかるレベルじゃありませんから。
ハッキリ言えることは、聴く者の心をとらえる「奥行き」みたいなものが、より広がったと云うこと。

そして不思議なのは、これだけの声量で歌っているにもかかわらず、耳元に囁きかけてくる感触があることです(大型のスピーカーかヘッドホンで聴いてみてください)。
宮川先生の言葉を借りるなら「お色気の優等生」と云うべきこの雰囲気は「歌手:園まり」だけが持つ魅力だと想う。
これからもずっと、男性ファンの心を虜にすることは、間違いありませんね。

Photo_4

「♪逢いたくて逢いたくて」も目を閉じて聴いてみましたよ。
こちらは歌唱力云々よりも、歌の中に園まりさんの人生を感じ、それに自分の想い出が重なって、何というか、胸がキュンとしてしまいました...生きてて良かった。

Photo_5

エンディングで、中尾ミエさんの一言に、おもわず笑う、まりさん。
声を殺して我慢してますが、肩の動きを見ると、かなり本気で可笑しかったようです。
こういった、台本にもなければアドリブでもない、自然なリアクション、好いですな~。
よく笑う園まりさんの、素が出た一瞬です。

・・・おしまい

渇望する心

副題:園まりさんを観たい...

Photo

園まりさんの事を知りたい、昔のことも、現在(いま)のことも。
声を聞きたい、お喋りしている声を。
歌を聴きたい、ステージの歌を。
そして...
姿を見たい、映像じゃなく、できれば生の姿を。

・・・普通ですよね、これって。
でも毎日ため息ついてます。

実はいま、脚を大怪我し、二度の手術は無事終わりましたが、まだまだ松葉杖なので人混みに出るのは無理。
当分夢は叶いそうにありません。
そのかわり、「園まりさんを観たい」と渇望する心のおかげで、以前よりもっと、「歌手:園まり」が好きになったような気がします。

安井かずみさんが作詞した、郷ひろみの歌で「会えない時間が 愛育てるのさ♪」って云うのがあるでしょ?
それとはちょっと違うのですが、気分的には似たような感じなのかな~?

Photo_2

「まりちゃん・・・」

小さく声に出して、その名を呼んでみる。
誰かに聞かれたんじゃないかと、不安になり、辺りをキョロキョロ見たりして(^^ゞ 。
腹のつき出たおじさんが、思春期の少年みたいです。

もしかしたら、思春期を取り戻そうとしているのでしょうか?
あのとき、あまりにも園まりさんが眩しくなってしまい、見つめ続けることが、出来なくなってしまったから。
幼い頃から敬愛した人が、ある日突然、異性に見えたら、受け入れられませんよね。
でもいまは大丈夫です。
私も適度に枯れましたから(ホントはすっかりジジイです)。
それで、やっと得られた、第二の青春。

もう一つ得られたものがあります。
「好きなものに素直な目を向けられることは、素晴らしいことだ」と云う事実。
なんで気がつかなかったんだろう?
こんどは一生、園まりさんを見つめ続け、忘れてきた青春を、取り戻そう..。

メロディと共によみがえる記憶

副題:親父のこと

自分が子供を育てるようになってから、亡くなった親父のことをよく思い出す。
長男が三歳の頃、いつも走り寄ってきては、ガバ~と抱きついてきたものだが、「あ~、俺もよくこんなふうに抱きついたな」とか、子供が熱を出して、病院に連れて行ったときは、自分が幼いとき医者につれてってもらった記憶など。

今は、子供たちも大人になって、親の出る幕もなくなりましたが、懐メロのCDを聴くようになってからは、そのメロディとともに、親父のことを思い出す。

親父は相当な変わり者で、音楽に極端な関心を示す人だった。
戦時中、未成年のくせに、今で云う「バンド」を組んで演奏していたらしい。
(成人だったら、戦地に送られていたか?)
無声映画で楽士のアルバイトをしていたこともあるそうな。
私が物心ついたころ、家にはまだ、大きなアコーディオンや特注のギターがころがっていたし、貧しかったのに、洋楽のレコードがたくさんあった。

そんな親父の話では・・・
私が最初に歌った流行歌は、坂本九さんの「♪上を向いて歩こう」だったらしい。
当時、5歳だったはずなので憶えていても良さそうなものだが、全く記憶にない。
小学校低学年の頃(昭和38年)、アメリカでこの曲が大ヒットしたことが話題になって、そのとき親父が言ったのです。
「おまえが初めて覚えたのはこの歌だ『上を向いてよ↑、下を向いてよ↓』を延々と歌っていたんだよ」ってさ。
「歌詞、違うじゃんか」と思いましたが、音程だけはしっかりしてたと言われた(^^;。

でもその頃興味があったのは、「坂本九」ではなく「ザ・ピーナッツ」でした。
華やかで、明るく、楽しい雰囲気が好きだったんです。
あまり記憶に自信がないのですが、昭和39年の春休みくらいに、テレビで「映画:モスラ」を放送していたことがありましてね。
それを観て「小美人」がピーナッツだと、初めて気がつきました。
それでますます好きになった。

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「モスラ」が劇場公開されたのは、昭和36年の夏ですから、当時私はまだ5歳。
幼すぎて、映画館にはつれていってもらえませんでした。
それでも、観たくて観たくて、毎日「お絵かき帳」に映画雑誌のモスラと小美人を書写しておりました。
我が家はトコヤさんだったので、待合室の雑誌をちょっと拝借してくれば、そういったモノには不自由しなかったのです。

ピーナッツの姿は、主に「ザ・ヒットパレード」と「シャボン玉ホリデー」で観ることが多かったのですが、中でもヒットパレードの方は、いつも親父と一緒に観ておりました。
たぶん、火曜夜の放送だったのではないかと想います。
トコヤさんが家族だんらんを過ごせるのは火曜日だけですから。

ところが、この時とばかり、親父の悪い癖が炸裂しましてね。
「解説魔」だったんです。
『ピーナッツは名古屋出身で、通っていた学校が近くにあって・・・』。
『この歌唱法は○○で□□と同じ歌い方だ』
まったく、参りましたね~、そんなことドーデモイイのです、子供だった私にとって。
ピーナッツの歌が聴けて、踊りが観られれば。

それでも、一人で観る「シャボン玉ホリデー」より、親父と観る「ザ・ヒットパレード」のほうが楽しかった。
今になって想います。
あのとき、ちゃんと話を聞いておけば・・・もっと想い出が増えていただろうに。

「モスラ放送」と同じ昭和39年の秋に、私にとって衝撃的な出来事が起こります。
ある日突如として「歌手:園まり」が好きになった。
両親が好き、ピーナッツが好き、仲の良い友達が好きなどとは全く違う、胸がしめつけられるような不思議な感覚。
もちろん八歳の子供でしたから、美貌がわかるわけもありませんし、女性として好きになったわけでもありません。
当時、学校でひどく虐められていた私にとって、園まりさんの歌声と、姿から感じる優しさが、かけがえのないものに想えたのです。
好きなモノとか、好きな人といった感覚を超越して大好きになりました。

一方、親父の「解説魔」ぶりはその後も相変わらずで、怪獣映画のときは『特撮の方法』、探偵モノは最悪で『ネタバレ』までする始末。

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今気がつきましたが、以前に書いた《あなたのとりこ?》と完全に話がだぶってますね(^^;。
でも、個人的なブログ(日記)だからこれで良いのです(と、ひとりで納得)。

それで、中学生になったときあることに気がついた。
「解説魔」の親父が、園まりさんがテレビに映っているときに限って、静かなことに。
「♪あなたのとりこ」が流れていた時だから、昭和43年の春頃だと想う。
いつも、園まりさんの姿を食い入るように見つめていた私でしたが、何気なくふり返ったら親父も同じだった。
好きだったんですきっと、親子そろって、おなじ人が。
生まれて初めて「嫉妬」しました。
「まりさんを好きになったのは、俺の方が先なんだよ」って思いましたね。

そんな親父も、私が15歳になった頃から、人生訓らしきものを、口にするようになりました。
決して説教がましくなく、なかなか面白い話が多かったのですが、トコヤさんとして、跡を継がせたかったのでしょうか、商売人としての基本が多かったような気がします。
結局、期待を見事裏切り、しがないサラリーマンになってしまいましたけどね。

人生訓より、もっと面白い話もしてくれましたよ。
「美人」のおはなし。
血は争えないと云うか、15歳にしてすでに「面食い」だった私に、先輩として色々教えてくれた。
どんな女性が、本当の美人なのか、理想の女性像とはどんなものかと云ったお話です。
『頭が良くなければ美人にはなり得ない、優しい心がなければ女らしくない』
この時の題材は「松坂慶子」でしたが...。

ところがその半年後、私が15の梅雨の日でした、父は突然帰らぬ人となったのです。
脳溢血でした。
そんなに早く亡くなるのなら、「解説魔」の話をもっと聴いておけば良かった。
人生訓を真面目に聞いておけば良かった。
理想の女性像も、本当は園まりさんで、同じ話がしたかった。

今私は「人生に必要なモノの考え方」を子供たちに伝えようとしています。
「美人のおはなし」はしませんが。
しかし、現代の子はそういった話は聞きませんね~
こと、長男にいたっては、『特撮の解説』の方が興味あるみたい。
困ったもんだ、ヤレヤレ・・・おしまい

まりちゃんのプロポーション

このページ

 

久しぶりに読み返してみたら

 

恥ずかしい...

 

(≧∀≦)

 

だから

 

削除しました

 

いったい、何人の人に見られたんだろう?

 

穴があったら入りたい・・・

 

 

 

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