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2011年10月

「園まり」長者番付に

副題:億万長者になっても、寂しげな表情だった園まりさん

                                             

今年(2011年)9月に放送された、テレビ朝日「時代が選んだNo1永遠の名曲歌謡祭Ⅲ」、しっかり録画してあります。
中でも、園まりさんが歌う「♪太陽はひとりぼっち」と昭和40年代のスパーク三人娘の映像がお気に入り。

Photo

何度も繰り返し見ているのですが、ここに出てくる園まりさん、初々しくてかわいいですね~。
よく見ると「当時23歳」とテロップが出ています。
実は、我が家の長女が今年23歳、同じ年齢なんです。
でも、女性らしいところは全然ないし、言葉遣いなんて男みたい・・・園まりさんの爪の垢でも煎じて、飲ませたいくらいだ。
それでも、若い頃のまりさんと、我が娘の顔がだぶって23年間を走馬燈みたいに思い出した。
妻にしてみれば、長女が生まれた時でさえ、仕事に出かけるような、ひどい夫だったと思う。
当時は「電波申請業務」といって、無線機と電波の通り道(NTTのパラボラみたいな物)を「電波監理局」なるお役所に、正式に認めてもらうための手続きをする、お仕事をしていました。
その頃はバブル経済になったばかりで、私が住む名古屋の中心部にも、たくさん高層ビルが建ちそうだった。
そんな場所に目を付け、先に「電波の通り道」を確保してしまうのです。
ビル建築が確実となったら、「電波の通り道」の既得権を盾に、有利に交渉を行います。
まるで、「ゆすり」「たかり」の類なのですが、これでも合法的な手段だそうです。
私は、この仕事が嫌で嫌で仕方がなかったのですが、生活がかかっているので、やらないわけにはいきません。
「ビルが建ちそうな場所」を見つけるため、航空写真や各種新聞、法務局での登記事項等、片っ端から調べていました。
そんなとき、どこかの新聞で『園まり』の文字を見たのです。
ずっと忘れていた・・・懐かしい名前。
一瞬、手が止まりましたが、殺気だって仕事をしていた私は、記事を読むこともなく業務に没頭したのでした。
それから何日か、もしかすると何週間か経った頃、少し余裕があったので、近くのレストランに昼食を摂りに行きました。
そのとき、カウンター横にあった雑誌の表紙に「園まり」の見出しを見つけたのです。
食事の注文もそこそこに、雑誌を広げると、懐かしい姿・・・

870

写真は記事の内容とは関係がありません

どこかの、こぢんまりとしたステージで歌っている、モノクロの写真です。
横には、赤坂のビルが坪何千万で、突如長者番付に云々...
「園まりさんも、ふっくらした顔のオバチャンになっちゃったなぁ~」そう思いながら、顔を近づけてよく見ると、やっぱり美しくて、優しい。
ところが、しばらく見つめていたら、何だか悲しげな表情に見えてきたのです。
それが気になって、その店に再度食事に行ったとき、その雑誌を探し出してもう一度観ました。
やはり悲しげに見える、というか何か寂しげに見えるのです。
億万長者になったのに。
この頃は、いつもそんな表情だったのか、たまたまそんな写真が選ばれただけなのかは、私には判りません。
でもこのとき「もしかしたら、これで歌うのをやめてしまうのではないか?」と不吉な予感がしたのです。
今にして思えば、半分だけ当たっていたのかも知れません。
実は、最近《夕刊フジ『自伝』集中連載記事》を全号手に入れる事が出来たのですが、まだ最初の方しか読んでいません。
後半には、その頃から現在に至るまでのことも出ているかも知れませんが、「これからのお楽しみ」ってことで、ゆっくり読もうと思っています。
「とんでもなく悲しい話が出てこなければいいなぁ~」と、ちょっぴり不安だけど、現在(いま)の園まりさんが元気いっぱいだから、大丈夫でしょう。
まりさんの人生に幸ありますように・・・

緊急告知!「園まり自伝」

副題:今ならまだ入手可能?《夕刊フジ『自伝』インタビュー集中連載》記事のバックナンバー

Photo 久しぶりに「園まりオフィシャルサイト」の[SCHEDULE]を見て、吃驚仰天大慌て。

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2011年10月3日(月)~10月20日(木)
夕刊フジ『自伝』インタビュー集中連載 
※土・日・祝日はのぞく
----------------------------------------------
と出ているではありませんか。
これは、なんとしてもバックナンバーを手に入れねば!

早速ここをチェックし、連絡を取った上で切手を送りましたところ、とても丁重に対応していただき、間違いなく入手することが出来ました。
ありがたや、ありがたや。
どのくらいの期間、バックナンバーを入手できるのかよくわかりませんが、今回は全国の園まりファンが、競って購入している可能性があるので、意外と早く、なくなってしまうかも?
「東日本版」、「西日本版」どちらでも、入手可能な方でよいでしょう。
ご希望の方はお早めに。

注:購入の際は、記事内容として《園まり『自伝』集中連載記事》と明記する事をお忘れなく。

 

2011年10月24日追記:

【各発行日別 記事内容】
2011年10月21日版(20日発行) ◎13◎ ボランティア活動(被災した坂下さんと再会・・・)
2011年10月20日版(19日発行) ◎12◎ 最愛の姉逝く(食生活の大事さに目覚め米作り)
2011年10月19日版(18日発行) ◎11◎ 復活と病(中尾ミエさんの労ってくれた笑顔・・・)
2011年10月18日版(17日発行) ◎10◎ カムバックへ(「3人娘」40年ぶりの再結成!)
2011年10月15日版(14日発行) ◎9◎ 復帰を決意(小学5年でモデル)
2011年10月14日版(13日発行) ◎8◎ 六甲のおいしい水(普通のオバサン満喫・・・)
2011年10月13日版(12日発行) ◎7◎ 普通のオバサン(映画「逢いたくて・・・」の時、日活撮影所にて)
2011年10月12日版(11日発行) ◎6◎ ミエさん&ゆかりさん(恩師・宮川先生の教えは今になって・・・)
2011年10月8日版(7日発行) ◎5◎ 園まり節の確立へ(1962年デビュー当時、日劇楽屋にて)
2011年10月7日版(6日発行) ◎4◎ デビュー(東洋音楽学校2年生の時の箱根旅行)
2011年10月6日版(5日発行) ◎3◎ 童謡歌手(岸恵子さんとミシンCM=小学5年生)
2011年10月5日版(4日発行) ◎2◎ いじめ(キング児童合唱団での童謡発表会)
2011年10月4日版(3日発行) ◎1◎ 歌のDNAは父譲り(大好きだった姉と)
※()内は掲載写真を表していますが、表記を一部省略しています。

一気に読み進んでしまうのは惜しい気がして、毎日少しずつ、かみしめながら読んでいます。
ですから、今は感想を書くことが出来ません、悪しからず。
                                                      

「♪何も云わないで」

副題:落ちこぼれ児童に、勇気を与えてくれた歌

《「園まりの歌声」に救われた日》の内容と重複するので、何度も同じ事を書くやつだ、と思われそうですが、まだ書き足りない・・・私にとって「園まりの原点」はここにあるので。

私は小学校3,4年生のとき、担任の若い女性教師から、ひどくいじめられていました。
ある誤解から生じたすれ違いは相性の悪さとなり、やがては決定的に嫌われることとなったのです。
一番傷ついたのは、忘れもしない、三者面談のとき、親子そろって罵倒されたことだった。
「この子はなまかわ(怠け者)です、性格も変です、普通学級に通わせることは出来ません、どこかの特殊学校に行ってください!」
あっけにとられている母に対して「お母さん、あなたも変です、どこかで診てもらいなさい!」
誓って云うが、上の文は先生の言葉を、一字一句正確に再現したものである。
「自分が怒鳴られるのは、仕方ないかも知れないが、愛する母にまでこんな仕打ちをする先生を許せない」・・・そう思ったが、何の力もなく、どうすることも出来ない。
家に帰ってからも、母は何も言わなかった。
数日後、父親から「おまえ、今の学校をやめて、隣の学校に通うか?」と聞かれたとき、即座に「そうする」と答えた。
友達と会えなくなるのは嫌だったが、あの先生と会わずにすむ方を選んだんだ。
でも、実際には何も変わらなかった。
越境通学は、認められなかったようなのだ。
自分にも、何らかの非は有ったのだろうが、その若い女の先生はヒステリー気質で、幼い私にとっては危険ですらあった。
ある時、ビンタをもらった瞬間、目尻に鋭い痛みを感じた・・・先生の右手薬指には、ごつい指輪があったんだ。
それからというもの、ビンタの恐怖にとりつかれ、指輪を見ると後ずさりしたり、走り回って逃げるようになった。
おかげでビンタは受けずにすんだが、そのかわり、廊下に立たされることが多くなった。
これが、精神的にはとてもつらくて、「あんたなんか、授業を受ける価値がありません!」と言われているに等しく思えて惨めだった。

Photo

園まりさんが先生だったら...

この頃、ラジオやテレビではよく「♪何も云わないで」が流れていて、私は完全にその声のとりこになっていました。
先生の、異常気質でヒステリックな怒鳴り声に、ほとほと参ってしまい、それが高じて、女性の声全てに恐怖を感じるほど、追いつめられていた・・・そんな私にとって、園まりさんの美しく優しい声は「地獄に仏」いや「地獄に天使」だったのです。
あるとき、放課(休憩時間)を夾んで、いつもより遥かに長い時間、立たされたことがあった。
惨めで惨めで、こんなことならいっそ死んでしまいたいと思ったとき、園まりさんの顔が浮かんだ。
「同じ若い女の人なのに、どうして先生とこんなに違うんだろうか?」
「園まりさんが先生だったら良かったのに」
そんな、途方もないことを考えながら廊下の窓辺により、桟に肘をかけた。
「今は何も云わないで だまってそばにいて・・・」自分にも聞こえないほど小さな声で、つぶやくように歌ってみた。
そのとたん、心の中で何かが堰を切ったように感じられ、涙があふれ出してきた。
園まりさんの幻が、すぐそばで、優しく静かに見守っていてくれるような気がしたんだ。
見ることは出来なかったけれど、確かに感じた。
私を優しく見つめながら「何も云わないで だまってそばにいて」くれたのです。
とめどもなく涙はあふれ、頬をぬらし、窓の桟にしたたり落ちた。
そして、ひとしきり泣くと、すぅ~っと気持ちが楽になり「なんだこのくらい、僕は平気だ」と勇気が出てきたのです。
そんなことが何度かあってから、悲しくても苦しくても、何ともないときでさえも、まりさんの姿を想い浮かべながら「♪何も云わないで」を口ずさむようになった。
いつしか、私にとって園まりさんは特別な人となり、「♪何も云わないで」は特別な歌になった。
そして、「僕の初恋の人は園まり」と想い込むようになっていったのです。

園まりさんのレア写真が見たい!

副題:滅多に見られない、レア写真掲載ページ リンク集

画像直リンクだけじゃなくて、それぞれのページ☆も見てくださいね。
面白いことがイッパイ書いてありますので。

☆写真で見る品川区

Photo

街頭でマイクを持ち、交通安全を呼びかける園まりさん(昭和39年9月15日)。
お役所の記録写真ですから、当然一品物でしょう。
「♪何も云わないで」がヒットした年のものです。
私がこの"名曲"と園まりさんを知ったのは、同年の晩秋ですから、これはその直前の写真です。
このページを見つけたときは、嬉しくてしかたなかった。
まるで、幼いときに生き別れた姉の写真を見ているような、何とも不思議な気分です(私に、姉はいませんが)。

 

 

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☆古本・古レコード 十和堂
蛇の目モード№42/1965年夏の号
 
 

Photo_3

よっちゃんのマニアックなお部屋

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上の二つはよく見かけるのですが、一番下のは見たことないなぁ~

☆その名は●ゆかり①

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もしかしたら昭和38年、NHK紅白の写真でしょうか?。
だとしたら、私にとっては、とんでもないお宝画像です。
だって我が家は毎年、紅白歌合戦の時間は大掃除で、ほとんど観る事が出来ませんでしたから。

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本編から切り出し

☆キネマ写真館 (映画「クレージー黄金作戦」から)

 ↑このスチル写真と同じカットを、本編の中から一コマ毎に探しましたが「完全に同じもの」はありませんでした。
そもそも、カメラの位置が違いますし、本編撮影の前か後に、別途撮られたものではないかと思われます。
現在のところ、当スチル写真を他で見たことはありません。

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本編から切り出し

☆キネマ写真館 (映画「クレージーメキシコ大作戦」から)

同上。

Photo_2

本編から切り出し

☆キネマ写真館 (映画「クレージー黄金作戦」から) 

このスライドショーの6枚目がレア写真です。
本編、予告編、パッケージ、どこを探しても同じカットはありませんでした。

☆逢えるじゃないか また明日

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日活撮影所の食堂 (映画「逢いたくて逢いたくて」から)

 

 

Photo_20

老人ホーム慰問の写真(2009年11月)
冒頭の交通安全を呼びかける写真と比べると
・・・全然変わっていない

この画像は私のお気に入りだったのですが、何故かページが消えてしまいました。
結果的にレア写真に。
本当は右横に品のいいおとしよりが写っていたのですが、一般の方なので、載せて良いものか判らず、カットしてしまいました。

Photo

園まりさんが、住んでいた家?

1958~59年頃のことを言っているのだとすれば、園まりさんがNET「あなたをスターに」で優勝する直前にあたるのでしょうか。
なかなか大変な子供時代を、過ごしているようなのです。

Photo

上から2番目は「小学5年でモデル」をしていたときの写真です。
テレビ画面からキャプチャされたものだと思うのですが、
夕刊フジ『自伝』◎9◎にも、鮮明な写真が掲載されています。
「紙面」で入手されたい方はお早めにどうぞ。

Los Angeles Mayor Sam Yorty and Japanese singer Mari Sono at Los Angeles City Hall, Los Angeles

Photo

Mari Sono and Watanabe Puro visiting Bank of Tokyo, Los Angeles

Photo_2

1970年にロサンゼルス市長とお逢いになったようです、知ってましたか?
私は今回初めて知りました。

ここに展示されている歌手は、江利チエミさんなど、ごく限られた人だけです。
まりさんの写真があるって、すごいことだと思いませんか?

伊東ゆかりファンにとっては見慣れた写真も、園まりファンから見たら、ちょっぴりレアかも知れない。

Photo_3

 

S41

昭和41年頃の写真と想われます
 
敬称略 <(_ _)> 前列左から園まり、伊東ゆかり、恵とも子(たぶん)、高橋真梨子、後方ドラムは木の実ナナ、右の二人はわかりません。
 
 
 
園まりさんの公式ブログにUPされていたプロマイドと同じものだと想うのですが...
 
 
 
 
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1971年2月7日放送(恋愛術入門第16話「スパイス大作戦」)の映像から
 

 

このページは現在作成中(レア写真発見しだい追加)

流されて

副題:園まりさんの、美しくも悲しげな姿

 

○美しい二人

あれは、江利チエミさんが亡くなった後で、いしだあゆみさんが、涙の記者会見(ショーケンのことで)をする少し前くらいだったから、昭和57年か58年頃だろうか?
当時私は交代制勤務で、20代後半なのに、昼間はブラブラしているような、脳天気な生活を送っていた。
ある日喫茶店で、遅めの朝食を摂っているとき、なにげなく手にした週刊誌に、おや?、と思うような記事が載っていたのです。
「男子大学生が選んだ、連れて歩きたい女性芸能人ベストテン!」
この頃は、「なんとなく、クリスタル」なんてのが流行ったりして、大学生の間でも「"いい女"を連れて歩くのがステータス」みたいな雰囲気があったように想う。
何気なくページをめくると、そのベストテンのトップがなんと伊東ゆかりさん!
「伊東ゆかりなんて三十代も半ばのオバサンじゃないか、最近の大学生はいったい何考えているんだ?」そう思いながら、次のページを観て「あ!」っと思った。
そのページを飾っていたのは、スリムでハイセンスなファッション、シャープな顔立ちの美しい伊東ゆかりさんだったのです。
それを見て「最近の大学生は、女性を見る目が確かなんだ」と納得せざるを得なかった。

Photo

そのときのイメージに近い写真

 

その時ふと想ったのは、「ゆかりさんが、こんなにも美しいのなら、園まりさんも、すごい美人になっているかも知れない」。
中学生の頃、眩しさについていけず、離れてしまったくせに、そう思った時から、また気になりだしたんだ。
人間というのは不思議なもので、気にしていると、それまで見えなかったものが見えるし、聞こえなかったことが聞こえるようになる。
今まで聞き流していた喧騒の中に、園まりさんの歌が聞こえていたり、近所の店にあった古いポスターに、まりさんの顔があることに気が付いたりしたんだ。

Photo_2

そんなとき、レコード店で見かけたのが、このジャケット。
実際にリリースされたのは、その数年前なのだろう。
ハッとするほど美しいのですが、その反面「何でまりさんが、こんな写真を撮られなきゃならないの?」と思ったのです。
だって、素肌に透けんばかりのドレス一枚で、湖に半身を沈め、悲しみに耐えるような表情でじっと湖面を見つめているのだもの。
どうしたって、この世をはかなんでいるようにしか見えないし、園まりさんの女らしさが、かえって残酷に思えて、悲しい気分になった。
Photo_3

このような写真を撮るには、それなりの覚悟が必要だったろう。
それとも、とびきり腕のいいカメラマンで、抵抗なく撮影できるよう、まりさんをリードしてくれたのでしょうか?
ジャケット写真は、商品であり、こういう演出だって事ぐらい、私だって百も承知だ。
でもしばらくは、この写真が脳裏に焼き付いて消えなかった。
なにか、「迷いと苦しみを抱えている」ような気がして、不安になったんだ。
でも本当のことなんて、私には何も分からないし、大きな勘違いをしていたのだと思いたい。
「迷いと苦しみ」ではなく、幅を広げるための「試みと挑戦」をしていた時期だったのかもしれない。
悲しげな写真・楽曲ともに、実は心を打つほどに、芸術性の高い仕上がりになっているのが、その証拠だと思うのです。
少なくとも今のまりさんを見ていると、こういった努力が、たとえその場では実を結ばなくとも、後の礎になっていったような気がする。
今でも、可憐な印象ですが、実際には、私が感じているよりも、ずっと強い人なのだろう。
それを、ずいぶん勝手な妄想を抱いたものだと、ちょっぴり恥ずかしくなる今日この頃なのです。
まあ、今にして想えば、私がまだ未熟だったので、園まりさんを理解するには、更に何十年か修行が必要だったってことなんでしょうね~
(今でも、ずいぶん未熟ですが)

 

 

「♪流されて」を聴いて

一度別れた二人が出逢うときの歌なのでしょうか?
園まりさんにしては、淡々とした歌い方なのですが、それが大人の優しさを感じさせます。

『何も言わないで あなたの悲しみは私のものだから
 笑って私のもとへ来て あなたの悲しみは解るから
 感じるままに 流されて
 もう一度 やり直しましょう
 昔のままのあなたで
 昔のままの私で』

私にはそんなふうに、聞こえるのですが
「♪何も云わないで」が、恋する乙女のワルツだとするなら
「♪流されて」は、悲しみを知った、大人のワルツに想えるのです。

 

2012年8月13日追記:

その後、ちょっと、いいお話を仕入れました。
情報元は1978年8月の「ナベプロ 会報誌 YOUNGヤング」です。
このジャケ写真、山中湖で撮ったそうなんですが、数人のスタッフと、合宿みたいに泊まり込みで、時間をかけ、撮影したということです。

どうりで、芸術的な写真だと思いました。
しかも園まりさん、手料理で、スタッフをもてなされたそうなんです。
手料理ですよ、手料理! 園まりさんの手料理!!

スタッフの方達が羨ましいなぁ~。
和気あいあいの合宿だったようです。
そりゃ皆さん、力が入りますよねー。

園まりさんのカバーポップスが聴きたい

副題:21世紀になって進化した、園まりさんのカバーポップス

Photo

前回は、お彼岸だったせいか、湿っぽい話になってしまったが、今回は明るい話を書きたいと思う。
先週金曜日、テレビ朝日「時代が選んだNo1永遠の名曲歌謡祭Ⅲ」で園まりさんを観たが、期待を上回る歌が聴けて、とても嬉しかった。
「♪逢いたくて逢いたくて」も良かったが、それ以上に良かったのが三人娘で歌ったカバーポップス。
特に「♪太陽はひとりぼっち」は最高だった。

Photo_2

初めて園まりさんを見たのは「♪何も云わないで」がヒットした時だから、それ以前のカバーポップス時代は、私にとって「伝説」なのだけれど、それだけに憧れて憧れて、いつもCDを聴いていた。
だけど、ハッキリ言って先週聴いた「♪太陽はひとりぼっち」はCDよりもっと良かった。
魂が吸い込まれそうなビブラートに、艶やかな声。
67歳の園まりさんは、衰えを見せるどころか、若いときよりずっとパワフルで、伸び伸びとした歌いっぷりだったんだ。

Photo_3
パワフルなだけじゃない。
「トレヴィの泉に♪」で、ちょっぴりしゃくり上げるような歌い方、「ひとりぼっちの ああ太陽♪」での囁きかけるような声。
細かなところまで心がゆき届いているのが、いかにもまりさんらしくて、聴いていて、おもわずウットリしちゃった。
歌っている姿にしてもそうだ。
切れのある動き、一つ一つの動作もカッコイイったらありゃしない。

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私の思いこみかも知れないが、まりさんって、すぐに「一生懸命」になってしまう癖があるみたいで、それがうまく作用すると誠実感溢れる「園まり節」が聴かれるけれど、カバーポップスの時は、逆に少しだけリラックスしていたほうが良いみたい。
誤解を恐れずに言うなら、ミエさんやゆかりさんと歌っているときは、心強い「仲間」がいるせいか、良い意味で力が抜けていて、ノリもいい。
持てる力を、十二分に発揮できているような気がする。
その声を聴くと、楽しんで歌っているのが伝わってくるんだ。

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このとき、「たそがれのローマ 夏の陽 ローマ♪」と歌い出したところで、とても良い表情をしたまりさん。
『あ、今日は気持ちよく声が出る』と思ったかも知れない。
そんなことは、私の勝手な想像だが、確かに云えることは、『歌えることがとても幸せ』と思う気持ちが伝わってきたことなんだ。
いい笑顔で、ちらりと伊東ゆかりさんを見たまりさん、その直後、声はいっそう艶をまし、最高の歌を聴かせてくれた。
聴いているこちらにも「園まりさんの歌を聴けて、とても幸せ」そう思わせてくれたのが一番良かった。

若いときの声で聴くのも悪くはない、と云うより、以前はそれが最高だと想っていた。
でも、ここ数年、三人娘で活躍されている姿を見て、その声を聴くと、やっぱり現在(いま)の声で聴きたいと思う様になった。
楽しく歌えると云うのは、長年芸能界を生き抜いてきた経験とか、人生を積み重ねてきた年の功もあるだろう。
でも、「三人娘」ってことも、大きいと思う。

ところで、これは私の勝手なひとりごとだが、最近の声で録音された「カバーポップス」の音源は有るのだろうか?
もし有るのだったら、CD化してもらえないのだろうか?
スタジオ録音でなくたって良いのです。
いつも活躍されている、三人娘のコンサートやイベントの録音を、ライブバージョンとしてCD化してもらえれば。
いや、むしろその方が、楽しい雰囲気が伝わってきて、いいと思う。
何とかならないものでしょうか?

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踊りはバラバラだが、タイミングと息はピッタリ

話は変わるが、このとき、ちょうどカミサンと二人で観ていたのであるが、カミサン曰く「こんなにタイプが違っているのに、三人娘をやってたの?」。
言われてみれば、確かにそうだ。
他の「ひばり・チエミ・いずみ」のジャンケン娘等は、個性豊かとはいえ、どこか共通するものを感じるのだが、スパーク三人娘は個性を通り越して、それぞれ全然違う方向に"ぶっとんでいる"感じがする。
しかし、"息が合っている"と云うことでは、歴代最強の三人娘だろう(少なくとも今では)。

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中尾ミエさんの「(若い頃は、仲が)全然およろしくありませんでしたのよ」って衝撃の告白内容も、今は昔のことだ。
ミエさんなんかは「80歳まではやる」とか言われているそうだが、三人とも無理せず、健康に気を配って、長く続けてほしい。
その声に癒されている「私たち」のために。

2011年10月2日(日)追記:
昨年暮れの「第5回徹子の部屋コンサート」と聴き比べて気が付いたのですが、バックバンドの腕が、格段に上がっているような気がするのです。
同じ人なんでしょうか?
ここから先は、コードも理解できていないような、ど素人の戯言として聴いてください。
ドラムもベースも切れが良くなっていたし、特にギターなんて最高なのですが、この人、顔に見覚えがあるので、同一人物に違いないと思うのです。
これほどの演奏を聴かせるのですから、名のあるアーティストかも知れません。
大平重成氏をWikiで調べましたが、よく理解できませんでした。
しかし「徹子の部屋コンサート」のとき、「ジ・アストロノーツ」と「ベンチャーズ」をアレンジに取り入れていた様なのですが、これが、ほんのちょっぴり未消化な部分を感じて、違和感があったのです。
でも、今回は違った、完璧だった。
ワクワクするような演奏で、園まりさんの歌を支えてくれたんだ。
アレンジのパターンは、前と全く同じはずなのですが、それが、気持ちよくとけ込んで、最高のスパイスになっていたのです。
これほどの実力者であっても、成長の余地があったと云うことなのでしょうか?
成長と云えば、園まりさん。
ハンデとしては、決して小さくない長期間のブランクを、今や完全に克服し、なお進化し続けているようです。
まりさんだけじゃない、三人娘全員が、観るたびに少しずつ、パワーアップしているような気がするのです。
そして、三人娘の周りを固める、アーティストやスタッフも、一緒に成長しているのかも知れません。
「成長する人間は、周りの者をも成長させる。」
そんな格言、聞いたこと有りませんが(だって私が考えたんだもの)、もしかすると案外当たっているのかも知れませんね。

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